(歌百廿七首)正月一日よみはべりける 小大君(三条院儲弐ム女房号左近。父母不詳。
或書云、三品式部卿重明親王女、母貞信公女)
一 元日 いかにねておくるあしたにいふことぞきのふ(を)こぞとけふをことしと
みちのくににはべりけるときはるたつひよみ侍ける 光朝法師母
(如三巻撰者 カスミモイマハタチヌラムコレヨリハルハスグトコソキケ)
二 立春 いでてみよいまはかすみもたちぬらんはるはこれよりすぐとこそきけ
(黒本ニハ ハルハコレヨリトイヘリ)
春はひむがしよりきたる(と)いふ心をよみ侍ける 源師賢朝臣
三 あづまぢはなこそのせきもあるものをいかでか春のこえてきつらん
立春日よみはべりける 橘俊綱朝臣
四 あふさかのせきをやはるもこえつらんおとはの山の今日はかすめる
寛和二年花山院歌合によみ侍ける 大中臣能宣朝臣
五 はるのくるみちのしるべはみよしののやまにたなびくかすみなりけり」六ウ
としごもりに山さと(でら)にはべりけるにけふはいかがと人のとひてはべりければ
六 (人しれずいりぬとおもひしかひもなくとしも山ぢをこゆるなりけり
山でらに正月にゆきのふれるをよめる) 平兼盛
七 ゆきふりてみちふみまどふ山ざとにいかにしてかははるのきつらん
だいしらず 加賀左衛門
八 あたらしきはるはくれども身にとまるとしはかへらぬものにざ(ぞあ)りける
天暦三年太政大臣の七十賀しはべりけるに×屏風によめる
(ミギハモエイヅルコヽロエヌヨシ、経信卿難アリ。又ミギハ・サハベ同心病也云々) 大中臣能宣朝臣
九 たづのすむさはべのあしのしたねとけみぎはもえいへ(づ)る春はきにけり
一条院御時殿上の×人はるのうたとてこひはべりければよめる
むらさきしきぶ
一○ みよしのははるのけしきにかすめどもむすぼほれたるゆきのしたくさ」七オ
(寛和二年歌合歟。但不入歌也)
花山院歌合にかすみをよみ侍ける 藤原長能
一一 霞 たにがはのこほりもいまだきえあへぬにみねのかすみはたなびきにけり
だいしらず 藤原隆経朝臣
(此歌本体ハ ソラノケシキノカハラヌハトゾアル)
一二 はるごとにのべのけしきのかはらぬはおなじかすみやたちかへるらん
(和泉式部 大江雅致女也、或懐平卿女云々) いづみしきぶ
一三 はるがすみたつやおそきと山がはのいはまをくぐるおときこゆなり
たかつかさどのの七十賀の月令の屏風に臨時客のところに(ヲ)
よめる 赤染衛門(四位袍也)
一四 立春 むらさきのそでをつらねてきたるかなはるたつことはこれぞうれしき
春×臨時客をよめる 小弁
一五 むれてくるおほみや人ははるをへてかはらずながらめづらしきかな」七ウ
入道前太政大臣大饗しはべりけるに×屏風に臨時客
のかたかきたるところをよめる 藤原輔尹朝臣(四・五・六位袍)
一六 むらさきもあけもみどりもうれしきははるのはじめにきたるなりけり
同じ屏風に大饗のかたかきたるところをよみはべりける
入道前太政大臣
一七 雉 きみませとやりつるつかひきにけらしのべのきぎすはとりやしつらん
民部(卿)泰憲近江守にてはべりけるとき三井寺にて歌
合しはべりけるによめる よみ人しらず
一八 鶯 はるたちてふるしらゆきをうぐひすのはなちりぬとやいそぎいづらん
うぐひすをよみ侍ける 大中臣能宣朝臣
一九 山たかみゆきふるすよりうぐひすのいづるはつねはけふぞなくなる」八オ
正月二日あふさかにてうぐひすのこゑをききてよみ
はべりける 源兼澄
二○ ふるさとへゆく人あらばことづてむ今日うぐひすのはつねききつと
選子内親王いつきときこえけるとき正月三日かむだちめ
あまたまゐりてそ(む)めがえといふうたをうたひてあそび
はべりけるに、うちよりかはらけいだすとてよみはべりける
よみ人しらず
二一 ふりつもるゆききえがたき山ざとにはるをしらする鶯の声
かかいまうしけるにたまはらでうぐひすのなくをきき(て)
よみはべりける 清原元輔
二二 うぐひすのなくね許ぞきこえつ(け)る春のいたらぬ人のやどには(も)」八ウ
俊綱朝臣のいへにて、はるやまざとに人をたづぬといふ
こころをよめる 藤原範永朝臣
二三 たづねつるやどはかすみにうづもれてたにの鶯一声ぞする
をのの宮の太政大臣のいへに子日しはべりけるによみ
はべりける 清原元輔
二四 子日 ちとせへむやどのねの日のまつをこそほかのためしにひかむとすら(め)
だいしらず いづみしきぶ
二五 ひきつれてけふはねの日のまつにまたいまちとせをぞのべにいでつる
正月子日にはにをりてまつなどてすさびにひきはべり
けるをみてよめる よみ人しらず
二六 はるののにいでぬねの日はもろびとの心ばかりをやるにざ(ぞあ)りける」九オ
正月子日にあたりてはべりけるに良暹法師のもとより
子日しになんいづるいざなへ×どひ(い)ひにおこせてはべりけるに、
またもおとせで日くれにければよみてつかはしける
賀茂成助
二七 けふはきみいかなるのべにねのびして人のまつをばしらぬなるらん
今上六条におはしまして上達部うへのをのこどもな×ど×
なかしまにわたりて子日しはべりけるによみはべり
ける 右大臣北方(隆俊卿女)
二八 そでかけてひきぞやられぬこまつばらいづれともなきちよのためし(けしき)に
三条院御時に上達部殿上人など子日せんとし侍けるに、
斎院女房(選子内親王歟)ふなをかにものみむとし侍けるをとどまり」九ウ
にければ、そのつとめて斎院にたてまつれ侍ける
堀川右大臣
二九 とまりにしねのびの松をけふよ(り)はひかぬためしにひかるべきかな
だいしらず 民部卿経信
三〇 あさみどりのべのかすみのたなびくにのべ(けふ)のこ松をまかせつるかな
(六条右府判、有難判)承暦二年内裏歌合によみはべりける 左近(権)中将(藤原)公実朝臣
三一 きみがよにひきくらぶれば子日する松のちとせもかずならぬかな
正月七日子日にあたりてゆきふりはべりけるに(れば)よめる
伊勢大輔
三二 ひとはみなのべのこまつをひきにゆくけさのわかなはゆきやつむらん」一〇オ
正月七日卯日にあたりてはべりけるに、けふはうづ
ゑつきてやなど通宗朝臣のもとより、いひにおこ
せてはべりければよめる
三三 若菜 うづゑつきつままほしきはたまさかに君がと(ふ)ひのわかななりけり
題不知 大中臣能宣朝臣
三四 しらゆきのまたふるさとのかすがのにいざうちはらひわかなつみみ(て)ん
いづみしきぶ
三五 がすがのはゆきのみつむとみしかどもおひいづるものはわかななりけり
(堀川右府判)後冷泉院御時(皇)后宮歌合によみ侍ける 中原頼成妻(散位為言女)
三六 つみにけ(く)るひとはたれともなかりけりわがしめしののわかななれども」一〇ウ
正月七日周防内侍のもとに(へ)つかはしける
藤三位(従三位親子、当今御乳母、大和守親国女)
三七 かずしらずかさなるとしをうぐひすの声するかたのわかなともがな
長楽寺にてふるさ(と)のかすみの心をよみはべりける
大江正言
三八 霞 山たかみみやこのはるをみわたせばただひとむらのかすみなりけり
能因法師
三九 よそにてぞかすみたなびくふるさとのみやこのはるはみるべかりける
だいしらず 選子内親王
四〇 はるはまづかすみにまどふ山ざとをたちよりてとふ人のなきかな
はるなにはといふところにあみひくをみてよみ侍ける」一一オ
藤原節信
四一 網 はるばるとやへのしほぢにおくあみをたなびく物はかすみなりけり
題不知 曽禰好忠(三百六十首最初歌也)
四二 葦 みしより(まえ)につのぐみわたるあしのねのひとよのほどにはるめきにけり
正月許につのくににはべりけるに(こ)ろ人のもとにいひつかはし
ける 能因法師
四三 こころあらむ人にみせばやつのくにのなにはわたりのはるのけしきを
題不知 読人不知
四四 葦 なにはがたうらふくかぜになみたてばつのぐむあしのみえみみえずみ
はるごまをよめる 権僧正静円
(焼タルスヽキノ色ノクロキナリ)
四五 春駒 あはづののすぐろのすすきつのぐめばふゆたちなづむこまぞいばゆる」一一ウ
長久二年弘徽殿女御歌合し侍けるに春駒をよめる
源兼長
四六 たちはなれさわべになる(る)はるごまはおのがかげをやともとみるらん
屏風絵にとりおほくむれゐてたびびとの眺望する
ところをよめる 藤原長能
四七 雉 かりにこばゆきてもみましかたをかのあしたのはらにきぎすなくなり
題不知 和泉式部
四八 野 あきまでのいのちもしらずはるののにはぎのふるねをやくとやくかな
後冷泉院御時きさいのみやのうたあはせにのこりのゆき
をよめる 藤原範永朝臣
四九 残雪 はなならでをらまほしきはなにはえのあしのわかばにふれるしらゆき」一二オ
屏風絵に梅花ある家にをとこきたるところをよめ
る 平兼盛
五○ 梅 むめがかをたよりのかぜやふきつらんはるめづらしく君がきませる
あるところの歌合に梅をよめる 大中臣能宣朝臣
五一 むめの花にほふあたりのゆふぐれはあやなく人にあやまたれつつ
はるの(よの)やみ(は)あやなしといふことをよみはべりける
前大納言公任
五ニ はるのよのやみにしあればにほひくるむめよりほかの花なかりけり
題不知 大江嘉言
五三 むめの(が)かをよはのあらしのふきためてまきのいたどのあくるまちける
村上御時御前の紅梅を女蔵人どもによませさせたまひける」一二ウ
にかはりてよめる 清原元輔
五四 むめのはなかはことごとににほはねどうすくこくこそいろはさきけれ
山ざとにすみはべりけるころむめのはなをよめる
読人不知
五五 わがやどのかきねのむめのうつりがにひとりねもせぬ心地こそすれ
だいしらず 前大納言公任
一二一九 むめがえにふりつむゆきはとしごとにふたたびさけるはなとこそおもへ 本
五六 わがやどのむめのさかりにくるひとはおどろくばかりそでぞにほへる
いづみしきぶ
五七 はるはただわがやどにのみはな(むめ)さかばかれにし人もみにときなまし
山ざとの梅花をよみはべりける 賀茂成助
五八 むめのはなかきねににほふ山ざとはゆきかふひとのこころをぞみる」一三オ
春風夜芳といふ心をよめる 藤原顕綱朝臣
五九 むめのはなかばかりにほふはるのよのやみはかぜこそうれしかりけれ
梅花ををりてよみはべりける 素意法師
六○ むめがえををればつづれるころもでに思(も)かけぬうつりがぞする
太皇太后宮東三条にてきさきにたたせ給けるに家の
紅梅をうつしうへられてはなのさかりにしのびにまか
りていとおもしろくさきたるえだにむすびつけ侍
ける 弁めのと
六一 かばかりのにほひなりともむめのはなしづのかきねを思わするな
だいしらず 大江嘉言
六二 わがやどにうゑぬばかりぞむめの花あるじなりともかばかりぞみん」一三ウ
清基法師(石清水小別当)
六三 かぜふか(け)ばをちのかきねのむめの花かはわがやどのものにざ(ぞあ)りける
道雅三位の八条家の障子にひとのいへにむめのきあると
ころにみづながれて客人きたれるところをよめる
藤原経衡
六四 たづねくるひとにもみせんむめの花ちるともみづにながれざらなん
水辺梅花といふ心を 平経章朝臣
六五 すゑむすぶ人のてさへやにほふらんむめのしたゆくみづのながれは
長楽寺にすみはべりけるころ二月許に人のもとにいひつかはし
ける 上東門院中将
六六 花待 おもひやれかすみこめたる山ざとのはなまつほどのはるのつれづれ
題不知 小弁」一四オ
六七 田 ほにいでて秋とみしまにをやまだをまたうちかへすはるは(も)きにけり
かへるかりをよめる 赤染衛門
六八 帰雁 かへるかりくもゐはるかになりぬなりまたこん秋もとほしとおもふに
藤原道信朝臣
六九 ゆきかへるたびにとしふるかりがねはいくそのはるをよそにみるらん
馬内侍
七○ とどまらぬ心ぞみえんかへるかりはなのさかりを人にかたるな
津守国基
七一 うすずみにかくたまづさとみゆるかなかすめるそらにかへるかりがね
弁のめのと
七二 をりしもあれいかにちぎりてかりがねのはなのさかりにかへりそめけん
屏風に二月山だうつところにかへるかりなどあるところをよみ」一四ウ
はべりける 大中臣能宣朝臣
七三 かりがねぞ今日かへるなるを山だのなはしろみづのひきもとめなん
天徳四年内裏歌合に柳をよめる 坂上望城
七四 柳 あらたまのとしをへつつもあをやぎのいとはいづれのはるは(か)たゆべき
やなぎいけのみづをはらふといふ心をよめる
藤原経衡
七五 いけみづのみくさもとらであをやぎのはらふしづえにまかせてぞみる
だいしらず 藤原元真
七六 あさみどりみだれてなびくあをやぎのいろにぞはるのかぜもみえける
二月許良暹法師のもとにありやとおとづれてはべりければ
ひとびとぐしてはなみになむいでぬるとききてつねはいざ
なふものをとおもひてたづねて遣しける 藤原孝善」一五オ
七七 霞 はるがすみへだつる山のふもとまでおもひしらずもゆくこころかな
人人はなみにまかりけるをかくともつげざりければつかはし
ける 藤原隆経朝臣
七八 桜 山ざくらみにゆくみちをへだつればひとのこころぞかすみなりける
きさらぎのころほひはなみに俊綱朝臣のふしみのいへに人々
まかれりけるにたれともしられでさしおかせはべりける
皇后宮美作
七九 うらやましいるみともがなあづさゆみふしみのさとのはなのまとゐに
はなみにまかりけるにさがのをやきけるを見てよみ侍
ける 賀茂成助
八○ 野 こはぎさくあきまであらばおもひいでむさがのをやきしはるはその日と
題不知 永源法師
八一 桜 さくらばなさかばちりなんとおもふよりかねてもかぜのいとはしきかな」一五ウ
中原致時朝臣
八二 むめの(が)かをさくらのはなににほはせてやなぎがえだにさかせてしかな
橘元任
八三 あけばまづたづねにゆかむ山ざくらこればかりだに人にをくれじ
一条院御時殿上(の)人人花見にまかりてをんなのもとに
つかはしける 源雅通朝臣
八四 をらばをしをらではいかが山ざくらけふをすぐさずきみにみすべき
かへし さかり(盛)少将 (三条院女房。蔵人式部丞藤原貞孝女)
八五 をらでただかたりにかたれ山ざくらかぜにちるだにをしきにほひを
後冷泉院御時うへのおのこどもはなみにまかりてうたなどよ
みてたかくらの一宮の御かたにもてまゐりてはべりけるに
一宮駿河
八六 おもひやる心ばかりはさくらばなたづぬる人におくれやはする」一六オ
今上御時殿上(の)人人はなみにまかりいでけるみちに、中宮の御かた
よりとて人にかはりてつかはしける 右大臣北方
八七 あくがるる心ばかりは山ざくらたづぬる人にたぐへてぞやる
障子絵にはなおほかる山ざとにをんなあるところをよ
みはべりける 源兼澄
八八 いまこむとちぎりし人のおなじくははなのさかりをすぐさざらなん
題不知 祭主輔親
八九 いづれをかわきてをらまし山ざくらこころうつらぬえだしなければ
菅原為言(ノブ)
九〇 ゆきとまるところぞはるはなかりける花に心のあかぬかぎりは
とほき(山)花をたづぬといふ心をよめる 小弁
九一 山ざくら心のままにたづねきてかへさぞみちのほどはしらるる
長楽寺にはべりけるころ、斎院より山ざとのさくらの(は)いかがと」一六ウ
はべり(あり)ければよみ侍ける 上東門院中将
九二 にほふらんはなのみやこのこひしくてをるにものうき山ざくらかな
白河院にて花を見て読侍ける 民部卿長家
九三 あづまぢの人にとはばやしらかはのせきにもかくやはなはにほふと
見×南殿(の)桜を見て 高岳頼言(相如男)
九四 みるからにはなのなたてのみなれども心の(は)くものうへまでぞゆく
うへのをのこどもうたよみ侍けるに春心花によすといふことを
よみはべりける 大弐実政
九五 はるごとにみるとはすれどさくら花あかでもとしのつもりぬるかな
花ををしむ心をよめる 大中臣能宣朝臣
九六 さくらばなにほふなごりにおほかたのはるさへをしくおもほゆるかな
河原院にてはるかに山桜をみてよめる 平兼盛
九七 みちとほみゆきてはみねどさくら花こころをやりて今日はかへりぬ(くらしつ)」一七オ
夜さくらをおもふといふ心をよめる 能因法師
九八 さくらさへはるはよるだになかりせばゆめにもものはおもはざらまし
桜をうゑおきてぬしなくなり侍にければよめる 読人不知
九九 うへおきし人なきやどのさくら花にほひばかりぞかはらざりける
とほきところにまうでてかへるみちに山(の)桜をみやりてよめる
いづみしぎぶ
一〇〇 みやこ人いかがととはばみせもせむこの山ざくらひとえだもがな
だいしらず
一○一 人もみぬやどにさくらをうゑたればはなもてやつすみとぞなりぬる
一○二 わがやどのさくらはかひもなかりけりあるじからこそ人もみにくれ
道命法師
一〇三 はなみにと人は山べにいりはててはるはみやこぞさびしかりける
紫式部」一七ウ
一○四 よのなかをなになげかまし山ざくら花みるほどのこころなりせば
なげかしきことはべりけ(る)ころ花をみてよめる 藤原公経朝臣
一〇五 はな見てぞみのうきこともわすらるるはなの(るは)かぎりのなからましかば
堀川右大臣の九条家にて山ごとにはるありといふこころをよ
みはべりける 前中納言顕基
一○六 わがやどのこずゑばかりとみしほどによもの山べにはるはきにけり
題不知 藤原元真
一○七 おもひつつゆめにぞみつるさくら花はるはねざめのなからましかば
承暦二年内裏歌合によめる 右大弁通俊
一〇八 はるのうちはちらぬさくらとみてしかなさてもやかぜのうしろめたきと(ナキ)
屏風に旅客見花と(いふ)〔と〕ころをよめる 平兼盛
一○九 はなみるといへぢにおそくかへるかなまちどきすぐといもやいふらん
屏風のゑに三月花宴するところにまら人きたるところをよめる」一八オ
一一○ ひととせにふたたびもこぬはるなればいとなくけふは花をこそみれ
後冷泉院東宮と申けるときうへのおのこども花みんとて雲
林院にまかれりけるによみてつかはしける 良暹法師
一一一 うらやましはるのみやびとうちむれておのがものとやはなをみる覧
通宗朝臣のとのかみにてはべりけるとき国にてうたあはせし
侍けるによめる 源縁法師
一一二 山ざくらしらくもにのみまがへばやはるの心のそらになるらん
宇治前太政大臣花みになむとききてつかはしける
民部卿斉信
一一三 いにしへのはなみし人はたづねしをおいははるにもしられざりけり
つつしむべきとしなればある(く)まじきよしいひはべりけれど三月許に
白河にまかりけるをききてさがみがもとよりかくもありけ
るはといひにおこせてはべりければよめる 中納言定頼」一八ウ
一一四 さくら花さかりになればふるさとのむぐらのかどもさされざりけり
遠花誰家ぞといふ心をよめる 坂上定成(シゲ)
一一五 よそながらをしきさくらのにほひかなたれわがやどの花とみるらん
としごとに花をみるといふ心をよめる 源縁法師(住越後国之時号越後君)
一一六 はるごとにみれどもあかずやまざくらとしにや花のさきまさるらん
賀陽院のはなざかりにしのびてひむがしおもての山の花みに
まかりありきければ、宇治前太政大臣ききつけてこのほどいか
なるうたかよみたるなどとはせてはべりければ、ひさしく
ゐなかにはべりてさるべきうたなどもよみはべらず、今日かく
なむおぼゆるとてよみてはべりける 能因法師
一一七 よのなかをおもひすててしみなれども心よはしとはなにみえぬる
これをききて太政大臣いとあはれなりといひてかづけもの
などして侍けりとなんいひつたへたる」一九オ
みまさかにまかりくだりけるに大まうちぎみのかづけ
もののことをおもひいでて範永朝臣のもとにつかはしける
一一八 よよふともわれわすれめやさくら花こけのたもとにちりてかかりし
たかくらの一宮の女房花みに白河にまかれりけるに
よみはべりける 伊賀少将
一一九 なにごとをはるのかたみにおもはまし今日しらかはの花みざりせば
内大まうちぎみのいへにて人人さけたうべてうたよみ侍
けるに、はるかに山ざくらをのぞむといふ心をよめる
大江匡房朝臣
一二〇 たかさごのをのへのさくらさきにけりと山のかすみたたずもあらなん
遠山桜といふ心をよめる 藤原清家
一二一 よしのやまやへたつみねのしらくもにかさねてみゆる花桜かな
周防にまかり(く)だらんとしけるにいへのはなををしむこころ」一九ウ
人人よみはべりけるによめる 藤原通宗朝臣
一二二 おもひおくことなからましにはざくらちりてののちのふなでなりせば
花下忘帰といふ心をよめる 良暹法師
一二三 とふ人もやどにはあらじ山桜ちらでかへりしはるしなければ
基長中納言東山に花み侍けるにぬのころもきたるこ法師して
たれともしらせでとらせ侍ける 〔加〕賀左衛門
一二四 ちるまではたびねをせなむこのもとにかへらば花のなたてなるべし
東三条院の御屏風にたび人山のさくらをみるところを
よめる 源道済
一二五 ちりはててのちやかへらんふるさともわすられぬべき山ざくらかな
同御屏風の絵にさくらのはなおほくさける所に人々のあ
るをよめる
一二六 わがやどにさきに(み)ちにけりさくらばなほかにも(は)はるもあら
じとぞおもふ」二〇オ
大納言公任はなのさかりにこむといひておとづれは
べらざりければ 中務卿具平親王
一二七 はなもみなちりなんのちはわがやどになににつけてか人をまつべき」二〇ウ