かへてそみ侍り。狩すな取し、網ひきなんどするを見ては、
けしからずなきもだへて、相構て念仏し給へなん
と云て、山中に入て座せりしか、此所に一年ばかり
すみて、其後里へも出ざんめれは、已に身まかりけるに
こそと、人々哀みて、或時、彼の庵に尋罷たるに、
其身は見し侍らで、かたづらなる板に数々に物を書たり。
見侍れは、 昔は天台山の禅徒として、三千の貫首に
至らん事を思ひ、今は小野の山中に住て、弥陀の
来迎にあづからん事を願ふ
世中のうきふししけき呉竹のなと色かへで
みとりなるらん
久寿二年三月九日 青蓮院の法眼真誉」三八オ
とかかれ侍り。又同手にて、はるかに山の奥なる
木をけづりて、かく。
心から倉橋山の世を渡りとはんともせす
法の道をは
とかゝれて、みへず成侍きとて、今の世まて
恋しみあひ侍り。都(本ママ、歟)さまて、かかる人や聞及ひ
侍る。手跡のいみしくて、一文字二文字づつ、みな
わけ取て侍りと、語きこへ侍りしに、そぞろに涙の
せきかねて、袂はなみ(本ママ)に落侍りしかば、みちの
国の衣川とは是ならんと覚しまてに侍りき。
此青蓮院真誉法眼と申は、鳥羽院」三八ウ
第八の宮、伏見大夫俊綱の御むすめ藤壺の
女御の御腹の御子にていまそかりき。女御はかなく
ならせ給しかは、彼の御菩提のためにとて、七歳
の御年山へのほせいまそかりける。智行目出
て、世の末には難有程に聞給へりしか、法眼まで
成せ給て、十八と申ける長月の中の十日の比、
いつくとも無くうせ給へり。此由山より奏せし
かは、法皇、殊に歎思食て、御ことのりを普国々に
下されて、尋奉るへしと侍りしかとも、甲斐なく
て、鳥羽殿も隠させ給へるに侍り。浅増や、されは
是まて流浪してい(本ママ)そかりける事よ。御よはいは」三九オ
さ(ハタチ)に及給はぬ程なれは、御心中、よろついふせく思やら
れて侍り。かてのとほしく、御身の苦き事のみこそいま
そかりけめ。何とて×して、げに筑紫まて、さそらひをはし
ましけるそや。御足もかけつかれてそ侍りけん、返々
哀に侍り。うき世のを、いつもみどりに色も替ずと
歎き、心とくら橋山にたとりて、法の道をは有とも不知さる
わさのうさを、思ひととめさせ給けん、やる方なく、心すみ
て覚侍り。物なんとも、多はきこしめさすして、悪を
作る物を哀み涙を流し、念仏勧させ給へり
けん、わく方なく貴侍り。倩思へは、又けにも適悪
趣のちまたをはなれて、忝くも人界に生れ、釈迦の」三九ウ
ゆい教にあくまてあへる時、心をはけまして、生死海
をうかひ出るはかりことめくらさん道には、か様に
心をもたてはうかひかたくや侍らん、くり返し
貴く侍り。哀三世の仏の、かの青蓮院
の御心の、十か一の心ばせを(本ママ)つけたまわせよかし
とまて思やられて、そぞろに涙のこほれぬることよ。
さても、猶御命の消やらて、天下になからへ
いまそかりもやすらん、今は又、浄土にもや
生させ給にけん。乞願は、いまた草の戸
さしさしはて給はぬ御事ならは必尋あひ
奉らん若むなしき御名のみを残す事にも」四〇オ
有物ならは、一つ浄土の友とをほして、哀みを、
たれさせ給と也。若君にて山に登せ給へりしには、
御共つかまつりて侍しそかし。