『撰集抄』(第)一帖第七 讃岐院御墓参事 付保元乱事

『撰集抄』(第)一帖第七 讃岐院御墓参事 付保元乱事

過にし仁の比、西国はるはる修行仕侍りし
讃州み(本ママ)坂のと云所に、しは侍りき。」二五オ
山のならの葉に庵、花が末によはる風、よふこ鳥、
よもきのもとの鶉、日終にあはれならすと云事なし。
長松の暁、さひたる猿(サル)声を聞にそゝろに腹わたを
たち侍り。かかるすみかは、後世のためとも侍ら
ねとも、心そゝろにすみて覚へしにこそ。かくても
侍るへかりしに、うき世の中に、思を留しと思
侍りしかは、立はなれなんとし侍しに、新院の御
所にをかみたてまつらんとて、白峰と云所に尋
参侍たれは、松の一村しけれるほとりに、くぎぬき
し廻た。是なん御墓にやと、今更」二五ウ
かきくらされて物もをほへず、まのあたり見
奉まつりしそかし。清冷紫震の間にすみ
給て、百官にいつかれ給、居(后歟)宮後房のうてな
には、三千美翠のかんさしあさやかにて、御
まなしりにかゝらんとのみ、しあはせ給しそかし。万機
の政を、たな心ににきらせ給のみらす。春は花
の宴を専にし、秋は月前の興つきせす侍りき。
あに思きや、今かゝるへしとは。かけてもはかりきや、
国辺土の山中の、をとろの下に朽させ給」二六オ
しとは。かい鐘の声もせぬ所に、法花三昧つとむる
僧一人もなし。只峰の松風のはけしきのみ。鳥
たにかけぬ有様見奉に、そゝろに涙落侍き。始有
物は終有とは聞侍とも、いまだかゝるためしは承
侍らす。されは、思をとむましきは此世也。一天の君、
万乗のあるしも、しかのこときの苦をのかのれましまさ
ねは、せもすたもかはらす。宮もわらやもはてし
なき物なれは、高位もねかはしらす。我等もいく
たひか、彼国王とも成けんなれとも、隔生即
忘して、都覚え侍らす。只行て止りはつへき」二六ウ
仏果円満の位のみゆかしく侍。とにかくに、思
つゝくるまゝに、涙のもれ出侍しかは

 よしや君むかしの玉のゆかとても
 かゝらん後は何にかはせん

とうちなかめて侍き。盛衰は今に始わざなれ
とも、殊心をとろかれぬるに侍り。さても、過ぬる保元
の初の年、秋七月の比をひ、鳥羽の法皇はかなく
成せ給しかは、一天村雲迷て、花の都暮ふた
がり侍て、貴賎(の)たくひ、うつゝ心も侍らす。歎
身の上につる心地共にてをわしましゝ中(に)、」二七オ

主上上皇の御国あらそひ有て、上を下に返し、
天をひびかし地うごまて、乱たゝかひて、夕(ユフヘ)に
及て、大炊殿に火かゝりて、黒煙しに、御方は
軍勝にのり、新院の御方軍破て、上皇、宇
治の左府、御馬にて、いつともなく落させ
給しを、兵追かけ奉りて、いさゝかも恐奉らず、
射まいらせ侍し見奉しに、由(ヨシナキ)都に出てと
返々心うく侍り。さて後にこそ承しか。或
山の中より求出し奉て、仁和寺へうつらせ
給ひ、宇治左府は、矢に当給て、御命絶(本ママ)さ」二七ウ

せ給ぬとは。奈良の京般若野の三昧に土葬
し奉けるを、勅使立、死骸実検の為に
堀をこし奉りけると承しに、あはれ六借(カシ)き
世中かな。誰か不知、うき世はかゝるへしとは。
殊にあやうくはかなき身をしたりかほにのみ
侍りて、空あけ暮過て、無常の鬼にとら
るゝ時、声をあげてさけへとも不叶して、悪
趣にのみめくり侍らんは、いとゝかなしかるへし。
盛衰もなく、無常もはなれ侍らん世也とも、」二八オ

仏の位目出と聞奉らは、なとかねかはさるへき。
いはんや盛衰甚しきをや。只心をしつめて、
往事を思給。すこしも夢にや替侍ると、悦も歎も、
盛も衰も、皆偽の前のかまへなるへし。

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