『撰集抄』(第)一帖第八 行賀切耳

『撰集抄』(第)一帖第八 行賀切耳

昔、奈良の京山階寺の僧にて、行賀僧
都と云人いまそかりけり。平備大徳の遺弟に
てそ侍ける。並なき智者にて、云しらず法のしるし
を施へりける人也。三面の僧坊にすみ給へり
ける、ゆふれ方に、四十あまりに見へる法師
みめさまより始て、すかた有さま見目うち」二八ウ

なんと、みへ侍程なる物の、忍やかに来て、打
涙くみて、行賀僧都にきこへける。かけてもをほ
よるましきわさなれは、申ともふつに叶へ
覚侍らねとも、思わひて、それ(に)はかりこそたす
け給はめと思て、恐々申になん。我うしろに
悪きかさ出て、已に死侍らんとす。命のをしきは
さる事にて、此苦痛にいきてながらふへくも侍
らぬ程に、当時きこへ給へるくすし見給、貴
からん聖人の耳を取て来れ。つくろひやめん。さら
ては、七珍の財を山つかとつめりとも、苦痛やむへ
からすと申侍りしかとも、いかなる上人も、」二九オ

我耳切て与給べき事侍らしと思侍て、只甲
斐なき涙のみこほれて侍つる程に、思はざるに、そこの
御事こそ貴き御事なれは、打わひ申さんには、さる
や侍らんと、人のつげ侍つれは、若やとまいり
侍りと、さめさめ(と)なくめり。上人あはれに覚て、いかなるかさ
そ。見んとのたまはせけれは、打かたぬき侍り。みるに目
もあてられす、かわゆしとも事もなのめならす侍り
けれは、さる事ならんにはいといとやすし(き×)とて、かぞり
て、左の耳を切てとらせ侍は、手を合て、涙を
、ふしをがみて去侍ぬ。さて上人は、我
身のいたき事は、露思給はす。此法師」二九ウ

のゆくへのみそをほつかなく思給へりける。
かくて、又人にまじはるへくもなかりけれは、今はひた
すら、学道を思すてて、三輪と云所に、思ひ
すましてそ籠給へりける。清き流にすすぎ
てし衣の色を又けかさしの、玄賓の昔の
跡ゆかし、げにと思入て、月ををくり日を重
給へり。かくて、何(イツレ)の比にか侍けん、僧都のまどろみ
るに、十一面観自在、枕がみにわたらせ給
て、いつぞや給はりたりし耳は、速に今返奉る
也。実に慈悲は深かりけり。あらかじめさる」三〇オ

事なかれとて、かきけつ様に失給ぬ。さて打驚
て、先耳をさくり給に、すへてつゝがなし。されは、
何とてう(か×)たかひ侍るへきなれは、いさゝかも替らず侍
ける。あな不思儀こは、されは仏の御しわさにこそと覚へ
侍けるよりは、いとゝてうつゝ心もいまさりと、
伝承こそ返々難有貴く覚て侍れ。をろをろもろ
こしの昔の迹を尋侍に、玄奘三蔵渡天し給
へりけるに、或山中して、慈悲をもて、くさく
けがらはしき病人を、頭より足のあなうら
に至まて、ねふり給時、観音と成て心み給」三〇ウ

心経をさづけ給へりとはうけたまは。其外、
もろこしにも、我朝にも、古今すへてかゝるためし
不聞及侍らす。三蔵は、鼻をそはめ舌を
ふれ、僧都は、身のいたく、かたわなるへきを不顧(イタマス)、
耳を切給けんは、猶難有侍るめる。彼は上代、
是は末代、彼は大国、是は国、三蔵は権
者、僧都は只人、更にくらべて云へきに侍らね
とも、今のふるまい給へるさまは、たとへなく侍。
うへたる虎に身を与給けん。昔の因行にも、
いつくかをとりて侍へき。然れは、大聖」三一オ

其機をかがさせ給て、かゝる不思をも顕させ
給と、返々いみしく覚て侍。人の習、我身は世に
有て、仏法をも弘(め)、衆生をもすくはんとこそ思
るに、いやしき法師のために耳をそきて、我
身は隠居し給へる、けに筆書述奉るにも、
ゝろに涙のもれ出て、そこはかとみへわかす。筆の
立所も、かれ野にあざるさゝがに、いとかきみたて、
そことも見へ侍ぬまゝには、とにかくに、くも手に物を思
つゝ身をつくしなる宇佐の宮、神のくみの
春雨に、うるをされつゝ我等まて、慈悲の心を」三一ウ

つけ給はせよかしと覚て侍り。あわれ、心うき
身共かな。何事も夢にのみ成世中に、思を
ととめて、竹の葉に霰ふる也さらさらと、きけは
ひとりはぬへき心地もせず。ゆふ暮は物思事
のまさるかと、よそに成ても問たくこぬ人を恨
はてぬ物ゆへに、松にかかれうらむらさきの藤
、かけひの水のたえたえに成行底影みへて、心
音を聞にも、むねのうつみ火消やらて、風
になひける煙にむせひて、明暮過程に、霜
かうへにつもり、四海の浪ひたいにたゝみて、
鏡に向へは、昔のかたちにもあらず。友に交て」三二オ

むつ事をのへんとすれは、みみもをほろにして不聞。
花を見とて梢をなかむれは、更に其かたちも
不見分。腰かがみ、手足すぢいたくて、
のくるしみにせめられ、無の鬼目前に
来れとも、あへて驚く心もなくて、此世いた
つらに老過て、閻魔の庁庭に至て、功徳
罪障の交量ありて、善事を尋らむ時、
いかか答。つくれる功徳あらはや。れとも
申へき。其時くやしくかなしこそ侍らんすらめ。
頗梨(ハリ)の鏡に向わゝ、けやしく腹立る姿、」三二ウ

多く貪着恋のかたちのみこそ、みへ侍らん
すれな。所々に仏多し(本ノママウツシタリ)、野辺に花さくといへとも、
一枝た折て、後世のためとて奉る事
、教法みてりといへとも、絹(本ママ)塵も習
学するわさなくて、只よしなき女色にほたされ
て、そぞろに心を冨士のによそへ、浅間のたけの
煙にくらされて、いたつらに月日をすこして、心と
うき目を見わさ(本ママ)、けにけに日喩(本ノママ)こそ侍へき。さても
行賀の慈悲堅固にして、耳(ミミ)を切給し
には、流来生死のきつな、ことことく切捨て、三」三三オ

界火宅の外に出て、ほのをにこかるゝ衆生を、哀と
みそなはしていまそかるらんと、いといとす返す貴く
。此事、遊心集にかたばかりのせ侍りしやらん。
結縁もあらまほしくて、書のするに侍り。たくみの詞
いやしきさまに引なしぬる憚一方ならとも、やみ
なん事のあたらしさに、又筆を染ぬる也うき世
中の、草かくれ無迹まて、我をそはむるわさなかれと
ちかふらくは、身はたとひ那落の底にしづむとも、此僧都の
慈悲をは忘(ワスレ)たてまつ(ら)し。三世の仏達、我二(本ママ)なき心を
かがみ給て、いささかの慈(本ママ)心を起給ふ身となさせ給へ。」三三ウ

乞願はつ(本ママ)心村なき物をや。

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