陽明文庫本 巻第一・春歌上
堀河院の御時、百首の歌たてまつりけるときよめる 中納言国信
2 みむろ山たににや春のたちぬらむ雪のした水いはたたくなり
〈校異〉詞書 正保四年版本は、「堀河院御時、百首歌」とする。
〈出典〉堀河百首・立春・三
〈別出〉『続詞花和歌集』4、詞書「堀河院御時、百首歌たてまつりけるに」
〈作者〉源国信(みなもとのくにざね) 延久元年(1069)生〜天永二年(1111)没。享年四十三。
康和四年(1102)、従二位権中納言となる。堀河天皇の歌壇で活躍し、
『堀河百首』を編纂した。『金葉和歌集』以下の勅撰集に三十七首入る。
〈語釈〉○三室山…大和国の枕詞。三室山の。
○谷にや春の立ちぬらむ…谷に春が来たのだろうか。「や」は、疑問の係助詞。「らむ」は、原因推量の助動詞。
○雪の下水…雪の下からとけた水が。
○いはたたくなり…岩をたたく音が聞こえることだ。「なり」は伝聞推定の助動詞で、声や音によって判断する。
「いはそそぐ」という詞は、『万葉集』から用いられている。しかし、「いはたたく」という表現は、この歌が初出である。
「そそぐ」は水が流れるとき、「たたく」は水滴が落ちるときという使い分けがされる。
〈古注釈〉北村季吟『八代集抄』 三室山、八雲抄大和云々。春立しるしに、谷の雪も下解て岩ほにしたたるさま也。
『堀河院百首和歌鈔』八雲抄三室山大和云々。岩タタクトハ雪ノ消タル下水ノ流テハイハホヨリ岩ガネニ落ルヲタタクト云ナルベシ。
ソレヲミテ谷ニヤ春ノ立ヌラント思ヘル義ナリ。
〈現代語訳〉三室山の谷に春が来たのだろうか。雪の下からとけた水が岩をたたく音が聞こえることだ。
〈批評〉巻頭歌の「はるたちける日、よみ侍ける」という詞書も受けていると思われる。
「雪のした水いはたたくなり」という下句は、三室山の谷の静けさと、詠作主体の感性がとぎ澄まされている
ことの双方を連想させる。「いはたたくなり」という表現が新鮮である。
国信の歌のある作品成立年代
笠間叢書『千載和歌集』は、陽明文庫本の詞書を「ときによめる」としているが、正しくは「ときよめる」。
『古来風躰抄』566、『定家八代抄』7、『歌枕名寄』2491
参考歌『範永集』129 山ざとはゆきのした水こほりつつはるともしらぬけしきなるかな
| 作 品 | 成 立 年 代 |
| 『堀河百首』 | 長治三年(1105)頃に成立。 |
| 『続詞花和歌集』 | 永万元年(1165)には成立。 |
| 『千載和歌集』 | 文治四年(1188)に成立。 |
| 『古来風躰抄』 | 建久八年(1197)〜建仁元年(1201)に成立。 |
| 『定家八代抄』 | 建保四年(1216)に成立。 |
〈影響歌〉
◯『千載和歌集』注釈 221番歌
陽明文庫本 巻第三・夏歌
刑部卿頼輔歌合し侍けるに、納涼の心をよめる 前参議教長
221 いはたたくたにの水のみをとづれて夏にしられぬみやまべのさと
〈校異〉詞書 伝冷泉為秀筆本・龍門文庫本は、「よみ侍ける」とする。
〈出典〉『教長集』夏、詞書を「納涼の心を」とする。
〈別出〉なし
〈作者〉藤原教長(ふじわらののりなが) 天仁二年(1109)生〜治承四年(1180)頃没か。崇徳院の近臣。
保元元年(1156)参議を辞す。保元の乱に連座して出家後、常陸国へ配流。法名を観蓮と称した。応保二年(1162)召還後は、北山・東山・高野辺を転々
とした。『久安百首』に出詠。『詞花集』以下の勅撰集に三十七首入る。
〈語釈〉○刑部卿頼輔歌合…嘉応元年(1169)に頼輔家で、開催された。
○たにの水のみをとづれて…
○夏にしられぬ…この歌が初例か。
○みやまべのさと…
〈古注釈〉北村季吟『八代集抄』
〈疑問点〉
〈現代語訳〉岩をたたく谷の水だけが音をたてて、夏に知られない深山辺の里であるよ。
〈批評〉「たにの水のみをとづれて」は、遠くからということを予感させる。「をとづれて」「しられぬ」という動詞が、
人を連想させる。『千載和歌集』撰者、藤原俊成が「いはそそぐ」から「いはたたく」に改変したか。そのことにより、
人の訪れをさらに現実的なものにしている。
教長の歌のある作品成立年代
正保四年版本は、「顕輔歌合」「よみ侍ける」とする。
和歌 正保四年版本は、「苔の水のみ」とする。
| 作 品 | 成 立 年 代 |
| 『教長集』 | 治承二年(1178)頃に成立か。 |
| 『千載和歌集』 | 文治四年(1188)に成立。 |
承暦二年内裏後番歌合に鶯をよめる 藤原顕綱朝臣
5 春たてば雪のした水うちとけて谷のうぐひすいまぞ鳴くなる
〈校異〉正保四年版本は、「内裏後番の歌合」とする。
〈出典〉承暦二年(一〇七八)四月三十日内裏後番歌合・鶯三番・右持、初句「春風に」
〈別出〉『後葉和歌集』春上・10 詞書「承暦二年内裏歌、後番歌」
〈作者〉藤原顕綱(ふじわらのあきつな) 長元二年(1029)生〜康和五年(1103)六月二十七日没。享年七十五。
丹波・讃岐などの地方官を歴任し、正四位下に至る。母から歌学の教育を受け、
承暦二年内裏歌合に初出。『後拾遺集』以下の勅撰集に、二十五首入る。家集に『顕綱集』がある。
〈語釈〉○内裏後番歌合…承暦二年(1078)四月二十八日内裏歌合の結果を不満とした白河天皇が、右方の方人
たちと二日後に開催した勅判の同題同番の歌合。類聚歌合廿巻本巻二所収の原本から転写したと思われる、続群書類従四〇七所収本が
唯一伝わる。
○春立てば…春になったので。
○雪の下水…雪が下から水となって。
○うちとけて…「雪がとける」と、「谷の鶯がうちとける」を掛けている。
○谷の鶯…春の訪れが遅い谷の鶯でさえ、という印象がある。歌合で用いられた詞のようである。
○今ぞ鳴くなる…今、鳴く声が聞こえることだ。「なり」は伝聞推定の助動詞で、声や音によって判断する。
「今ぞ鳴くなる」という詞は、早い例では『万葉集』4034で田辺福麻呂が鶴に用いた。『古今和歌集』夏歌でホトトギスに二首、
『古今和歌集』秋歌でカリガネに一首用いられている。春の鶯に用いられたのは、勅撰和歌集でこの歌が初めてである。
〈古注釈〉北村季吟『八代集抄』 心明也。時節の景、所のさまを思ふべし。
〈疑問点〉初句を、「春たてば」から「春風に」と変えると、どのような印象を受けるか。
〈現代語訳〉春になったので、雪が下から水となってとけて、(春の訪れが遅い)谷の鶯が今、鳴く声が聞こえることだ。
〈批評〉初句を「春立てば」としたのは、寂超撰の『後葉和歌集』が最初である。承暦二年内裏後番歌合のように、初句を
「春風に」とすると、「雪の下水」と「谷の鶯」との因果関係がはっきりする。しかし、寂超は、これでは直接的すぎると考えたのだろう。
春風だけではなく、「春の陽気」という漠然としたものを表現する歌に仕立て直した。また、『千載和歌集』の配列から考察すると、
「みむろ山谷にや春の立ぬらむ雪の下水岩たたくなり」が問いかけの歌なのに対し、「春たてば雪のした水うちとけて谷のうぐひすいまぞ鳴くなる」
とすると答えの歌という構成になるので、初句は「春たてば」のほうがよい。下句の「いまぞ」という詞から、
詠作主体が鶯が鳴くのを待ちかねていた心境が感じとれる。
〈本歌〉『拾遺和歌集』6番歌 氷だにとまらぬ春の谷風にまだうちとけぬ鶯の声(源順)
〈参考歌〉『内裏後番歌合』5 はるくればすだちのをののうぐひすのこゑならはしにいまぞなくなる
〈影響歌〉『堀河百首』1184番歌 いかにせん雪の下水打ちとけて名にながれなん事をこそ思へ(河内)
顕綱の歌のある作品成立年代
『古来風躰抄』
『千載和歌集』2番歌 みむろ山谷にや春の立ぬらむ雪の下水岩たたくなり(中納言国信)
『堀河中納言家歌合』17 かぜさむみたににこもれるうぐひすのうちとけてなくこゑのきこえぬ
『元輔集』19 うぐひすのねはうちとけてあしひきのやまのゆきこそしたぎえにけれ
『金葉和歌集』巻第一 春歌 藤原顕輔朝臣
14 けふやさは雪うちとけて鶯のみやこに出るはつ音なるらん
天暦十年(956)二月『麗景殿女御歌合』8 かがみやまはるくるかげやみえつらむたにのうぐひすいでてなくなり
寛和二年(986)六月『内裏歌合』3 こほりとくかぜのおとにやすごもれるたにのうぐひすはるをしるらむ
| 作 品 | 成 立 年 代 |
| 『内裏後番歌合』 | 承暦二年(1078)に成立。 |
| 『後葉和歌集』 | 久寿三年(1156)には成立。 |
| 『千載和歌集』 | 文治四年(1188)に成立。 |
| 『古来風躰抄』 | 建久八年(1197)〜建仁元年(1201)に成立。 |
〈参考文献〉・『新編 国歌大観 第六巻』(角川書店)私撰集編U 歌集、昭和六十三年四月 初版発行 後葉集
トップページヘ 更新日:平成16年1月31日