陽明文庫本 巻第一・春歌上
百首歌たてまつりける時、はじめの春の
こころをよめる 待賢門院堀河
3 雪ふかきいはのかけ道あとたゆるよし野の里も春はきにけり
〈校異〉詞書 正保四年版本は、「初春の心」とする。
〈出典〉『久安百首』個人別本・一〇〇四。『久安百首』部類本一六、初句は「雪ふかみ」。
〈別出〉『待賢門院堀河集』51、初句「ゆきふかみ」
〈作者〉待賢門院堀河 生没年未詳。待賢門院に仕える。『久安百首』に参加する。『金葉和歌集』以下の勅撰集に六十四首入る。
家集に『待賢門院堀河集』がある。
〈語釈〉○雪ふかき…『待賢門院堀河集』や『後葉集』のように、初句を「雪ふかみ」とすると、
「雪が深いので」という意味になる。接尾語の「み」は、形容詞の語幹に付いて、原因・理由を表す。…ので。
○いはのかけみち…山の岩壁をぬって行く険しい道。
○あとたゆる…人の行き来が絶えていた。「あとたゆる」は、「いはのかけ道」と「よし野の里」の双方にかかる掛詞になっている。
○よし野の里も…吉野の里にも。大和国、現在の奈良県吉野郡。
○春はきにけり…春はきたのだった。
〈古注釈〉北村季吟『八代集抄』 『古今』「世にふればうさこそまされ三吉野の岩の陰道踏ならしてん」是を本歌なるべし。雪に行来の
跡絶るよしののさとも、時節はたがはぬ心なるべし。来の字、眼也。
〈疑問点〉詠作主体は、春の訪れをどのようにして知ったのか。
〈現代語訳〉雪深い山の岩壁をぬって行く険しい道は、人の行き来が絶えていた、吉野の人里にも春(人)はきたのだった。
〈批評〉私は、「あとたゆる」を、「人の行き来が絶えていた」と訳した。北村季吟が『八代集抄』で、「来の字、眼也」
と述べているのはどういう意味だろうか。私は、第五句の「春はきにけり」を、
「人はきにけり」と置き換えてもよいのではないかと思われる。そうしなければ、詠作主体は、春の訪れをどのように知ったのか
分からない。
待賢門院堀河の歌のある作品成立年代
『後葉集』春上・3 詞書「新院の百首歌めしけるに」、初句は「雪ふかみ」
『古来風躰抄』、『定家八代抄』、『歌枕名寄』2170
参考歌 『和泉式部集』269 をしへやる人もあらなんたづねみよよしのの山のいはのかけみち
『散木奇歌集』661 ひとりぬる宿はふぶきにうづもれていはのかけみち跡たえにけり
参考歌 『後撰和歌集』470 しら山に雪ふりぬればあとたえて今はこし地に人もかよはず
参考歌 『古今和歌集』冬 あさぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里にふれる白雪(是則)
『古今和歌集』4 雪のうちに春はきにけり鶯のこほれる涙いまやとくらん(詞書 二条のきさきの春のはしめの御歌)
『赤人集』122 いにしへのひとのうゑけむすぎのはにかすみたなびくはるはきにけり
| 作 品 | 成 立 年 代 |
| 『久安百首』 | 久安六年(1150)頃に成立。 |
| 『待賢門院堀河集』 | 久安六年(1150)以降に成立。 |
| 『後葉集』 | 久寿三年(1156)には成立。 |
| 『千載和歌集』 | 文治四年(1188)に成立。 |
| 『古来風躰抄』 | 建久八年(1197)〜建仁元年(1201)に成立。 |
|
『定家八代抄』 |
建保四年(1216)に成立。 |
陽明文庫本 巻第一・春歌上
堀河院御時、百首歌たてまつりける時、残雪をよめる 前中納言匡房
4 みちたゆといとひしものを山ざとにきゆるはをしきこぞの雪かな
〈校異〉詞書 正保四年版本は、「百首の歌」とする。
〈出典〉『堀河百首』残雪 82
〈別出〉有吉保蔵『匡房集』 詞書「残雪」
『後葉集』17 詞書「百首中に、春雪を」
『古来風躰抄』568
〈作者〉大江匡房(おおえのまさふさ) 長久二年(1041)〜天永二年(1111)十一月五日、七十一歳没。 『後拾遺和歌集』以下の勅撰集に百余首入る。家集に『江帥集』がある。
〈語釈〉○残雪…ここでは、冬のうちに積って、春になってもまだ消えずに残っている雪のこと(角川古語大辞典)。
○みちたゆと…道が途絶えると。
○いとひしものを…嫌っていたものを。
参考歌 『拾遺和歌集』82 はなちるといとひし物をなつ衣たつやをそきと風をまつ哉(盛明のみこ)
〈古注釈〉『堀河院百首和歌鈔』 道たゆトハ道タユルト也。冬ハイトヒヌレドモ、春ニイタリテ名残ナリ。
雪ノキエユクハオシキト也。世上ノ古又カクアルナラヒ也。
北村季吟『八代集抄』 心は明なり。やさしき心ばえなるうたなるべし
〈疑問点〉。
〈現代語訳〉道が途絶えると嫌っていたものを、山里に消えるのは惜しい去年の雪だなあ。
〈批評〉「いとひしもの」は、具体的に「雪」をさし、この詞を境にして季節(または心)の移り変わりを詠むのが典型 のようだ。また、「みち」から「山ざと」という場所の変化は、冬の間詠作主体が旅をする様子が思い浮かぶと同時に、 春が「みち」から「山ざと」に訪れる経過を表現している。前歌の「あとたゆ」と、この歌の「みちたゆ」が響きあっている。
〈影響歌〉『内裏百番歌合』144 あとたのむものさびしさはしらねども消ゆるはをしき庭の雪かな
大江匡房の歌のある作品成立年代
| 作 品 | 成 立 年 代 |
| 『堀河百首』 | 長治三年(1105)頃に成立。 |
| 『後葉集』 | 久寿三年(1156)に成立。 |
| 『千載和歌集』 | 文治四年(1188)に成立。 |
| 『古来風躰抄』 | 建久八年(1197)〜建仁元年(1201)に成立。 |
〈参考文献〉・『新編 国歌大観』第三巻 私家集編T
・北村季吟『八代集抄』 天和二年(1682)刊
・『新編 国歌大観 第六巻』(角川書店)私撰集編U 歌集、昭和六十三年四月 初版発行 後葉集
・『校本 堀河御時百首和歌とその研究』研究本文編、古注索引編(笠間書院)
橋本不美男・滝沢貞夫、1976年3月、1977年4月
トップページヘ 更新日:平成16年2月21日