陽明文庫本 巻第一・春歌上
後冷泉院御時、皇后宮の歌合によみ侍ける 大納言隆国
6 山ざとのかきねに春やしるか覧かすまぬさきにうぐひすのなく
〈校異〉詞書 書陵部本は、「後冷泉院の御時」とする。
八代集本は、作者名を「大納言隆国俊賢卿子。源氏」とし、和歌の第三句を「しらるらん(るからんイ)」とする。
「しらるらん」の用例は鎌倉時代からなので、「しるからん」が本来の形であろう。
〈出典〉天喜四年(1056)四月三十日皇后宮寛子春秋歌合、鶯、四番左負。
〈別出〉『栄花物語』根合、『古来風体抄』
〈作者〉源隆国(みなもとのたかくに) 寛弘元年(1004)生〜承保四年(1077)七月九日没。享年七十四。 正二位権大納言。
〈語釈〉〇皇后宮の歌合…天喜四年(1056)皇后宮寛子春秋歌合。 藤原頼宗の判は「霞まぬさきに、心得ず。まづかすみこそ」とし、負とされた。
〇山ざとのかきね…『千載和歌集』468番歌の天台座主明快の歌のように、梅を暗示しているか。「卯の花」と詠まれることが多かった。
〇しるか覧…「む」は推量の助動詞で、…だろう。「しるか」は、形容詞ク活用の「著し」の未然形で、 はっきりしている。また、動詞の「知る」が掛けられている。
〇かすまぬさき…
〈後世歌〉『日吉社知家自歌合』1 あまつそらひかけやはるをいそくらむかすまぬさきのゆきのむらぎえ
〇うぐひすのなく…鶯が鳴く。
『新撰万葉集』巻上 かすみたつはるのやまべにさくはなをあかすちるとやうぐひすのなく
『新撰万葉集』巻上 はるくればはなとやみらむしらゆきのかかれるえだにうぐひすのなく
『亭子院歌合』 たのまれぬはなのこころとおもへばやちらぬさきよりうぐひすのなく(藤原興風)
〈古注釈〉北村季吟『八代集抄』 山里などは霞にこそ春をしるべけれど、いまだかすまねど、鶯のなくにて春や しらるらんと也。又いまだかすまねど、鶯は春を自然と知てなく心と両説なり。
〈疑問点〉・「山ざとのかきねに春やしるか覧」とは、具体的にどのような状態か。
・「かすまぬさき」という表現をどのように解釈すればよいか。
〈現代語訳〉山里の垣根に春がはっきりと分かるのだろうか。かすまないのに鶯が鳴くことだ。
〈批評〉「かすまぬさきに」と逆接的な表現にすることにより、「うぐひすのなく」が強調される。
倒置法が用いられている。
『千載和歌集』注釈 468番歌
陽明文庫本 巻第六・冬歌
歳中梅花さけるをみてよみ侍ける 天台座主明快
468 山ざとのかきねのむめはさきにけりかばかりこそは春もにほはめ
〈校異〉
〈出典〉続詞花集・冬「としのうちにさける梅をよめる」
〈別出〉なし
〈作者〉天台座主明快(みょうかい) 俗姓藤原。寛和元年(985) 生〜延久二年(1070)三月十八日没。享年八十六。文章生俊宗男。第三十二代天台座主。 大僧正。『後拾遺和歌集』初出。
〈語釈〉〇かばかりこそは…「かばかり」は、「これほど」という意味。「香」も掛けている。
『千載和歌集』844 まつとてもかばかりこそはあらましかおもひもかけぬ秋の夕ぐれ(和泉式部)
〈古注釈〉北村季吟『八代集抄』
〈現代語訳〉山里の垣根の梅の花は咲いたのだった。これほど香りは春になっても匂うのであろうか。
〈批評〉
〈後世歌〉『山家集』35 かをとめん人にこそまて山ざとの垣ねの梅のちらぬかぎりは
『千載和歌集』注釈 844番歌
陽明文庫本 巻第十四・恋歌四
大宰帥敦道のみ子なかたゑ侍けるころ、 秋つかた思ひいでてものして侍りけるに、よみ侍ける 和泉式部
844 まつとてもかばかりこそはあらましかおもひもかけぬあきのゆふぐれ
〈校異〉詞書 敦道 龍門文庫本は、「敦通」とする。
和歌 おもひもかけぬ 書陵部所蔵伝堀河具世筆本は、「おもひもよらぬ」とする。
あきのゆふぐれ 静嘉堂文庫所蔵伝冷泉為秀筆本は、「秋のふくれ」とする。誤写であろう。
〈出典〉『和泉式部集』正集 869 詞書「ゆふぐれにきこえさする」、
和歌「またましもかばかりこそはあらましかおもひもかけぬけふの夕ぐれ」
「またましも」「今日の夕暮れ」という表現の初例と思われる。
『和泉式部集』宸翰本 「大宰帥敦道の御こなかたえけるころ、
秋つかたおもひいでてものして侍しに」
※『和泉式部集』宸翰本は、『新古今和歌集』成立の元久二年(1205)以降に成るか。
『千載和歌集』からの引用と思われる。
〈別出〉『和泉式部日記』 故宮の、さばかりのたまはせしものを、
と悲しくて思ひ乱るるほどに、例の、童来たり。御文やあらん、と思ふほどに、
さもあらぬを、心憂し、と思ふほどもすきずきしや。帰り参るに、きこゆ。
待たましもかばかりこそはあらましか思ひもかけぬけふの夕暮れ
御覧じて、げに、いとほしうも、とおぼせど、かかる御ありきさらにせさせ
給はず。北の方も、例の人の仲のやうにこそおはしまさねど、夜ごとに出でんも、
あやしとおぼしめすべし、故宮の、はてまでそしられさせ給ひしも、これによりて
ぞかし、とおぼしつつむも、ねんごろにはおぼされぬなめりかし。
〈作者〉和泉式部(いずみしきぶ) 生没年未詳。 万寿四年(1027)には生存していた。長保五年(1003)、弾正宮為尊親王の同母弟の、敦道親王との恋に落ちる。 それから和泉式部が、敦道親王邸に入るまでの日記が『和泉式部日記』となった。 敦道親王との間に産まれた子は、のちに法師となって永覚と名のる。 寛弘六年(1009)頃、中宮彰子(上東門院)に仕えることになる。 夫であった橘道貞の和泉守の官名から、「和泉式部」と呼ばれた。家集に『和泉式部集』がある。勅撰集に二百四十首あまり入る。
〈語釈〉〇大宰帥敦道のみ子…天元四年(981)生。寛弘四年(1007)に、
二十七歳で亡くなる。大宰帥。
〇かばかりこそは…「かばかり」は、「これほど」という意味。
〈古注釈〉北村季吟『八代集抄』
〈現代語訳〉待つといってもこれほどまではあったでしょうか。思いもかけない 秋の夕暮れでした。
〈批評〉「大宰帥敦道のみ子なかたゑ侍けるころ、秋つかた思ひいでてものして侍りけるに、 よみ侍ける」という詞書、和歌の初句を「まつとても」、第五句を「あきのゆふぐれ」と改変したのは、 『千載和歌集』撰者の藤原俊成であろうか。
| 作 品 | 成 立 年 代 |
| 『和泉式部日記』 | 寛弘五年(1008)頃に成立。 |
| 『和泉式部集』 | 年()に成立。 |
| 『千載和歌集』 | 文治四年(1188)に成立。 |
法性寺入道前のおほきおほいまうち君内大臣に侍ける時、 十首歌よませ侍けるによめる 源俊頼朝臣
7 けぶりかと室の八島を見し程にやがても空のかすみぬるかな
〈校異〉詞書 書陵部本は、「よませける」とする。
〈出典〉『俊頼集』春・正月 「摂政殿下にて十首の歌よませ給ひけるにつかまつれる」
〈別出〉『月詣集』正月、『古来風体抄』、『歌枕名寄』6809
〈作者〉源俊頼 天喜三年(1055)生〜大治四年(1129)没。享年七五。経信の三男。堀河天皇時代の 歌壇で活躍した。堀河百首・永久百首の歌人。白河院の命を受けて『金葉集』を撰進。家集に『散木奇 歌集』があり、歌論書『俊頼髄脳』を著した。『金葉集』以下の勅撰集に一二〇首入る。
〈語釈〉〇法性寺入道前太政大臣…藤原忠通。永久四年(1116)四月二十八日、内大臣になる。 大治三年(1128)十二月、太政大臣となる。
〇十首歌…
『散木奇歌集』8 佐保山に霞の衣かけてけりなにをか四方の空はきるらむ
『散木奇歌集』9 煙かと室の八島をみしほどにやがても空のかすみぬるかな
『散木奇歌集』109 をちこちに花咲きぬれば鷺のゐる磯馴の松にみぞまがへける
『散木奇歌集』144 心とも散りけるものを桜花なに濡衣を風にきせけむ
『散木奇歌集』158 春の野に尾花葦毛の見えつるはひきまがへたる心地こそすれ
『散木奇歌集』180 春日山さかゆる藤にいとどしく鴬鳴きつ春の曙
〇けぶりかと…煙のように立ちのぼり、たなびくもの。水蒸気・霞・しぶき・ほこりなど。この場合は、水蒸気であろう。
〇室の八島…歌枕。栃木市国府町にあった池。常に水蒸気が立ちのぼり、それが煙のように見えた。
〇見し程に…「見る」は、見渡すと解釈した。「し」は、過去の助動詞「き」の連体形、…た。
「ほどに」は接続助詞で、事態の推移、時間の経過を表し、…うちに。
〈類似歌〉『拾遺和歌集』840 うつろふはしたばばかりと見しほどにやがても秋になりにけるかな(中宮内侍)
〇やがても空の…「やがて」は副詞で、そのままの意味。係助詞の「も」は、強意を表す。
〇かすみぬるかな…「ぬる」は、完了の助動詞「ぬ」の連体形で、…てしまった。
〈古注釈〉北村季吟『八代集抄』 法性寺入道…忠通公、入道し給ひて法名円規。室八島、下野、水煙立所也。前集委。心は明也。
〈疑問点〉
〈現代語訳〉水蒸気ではないかと室の八島を見たうちに、そのまま空がかすんでしまったなあ。
〈批評〉
〈後世歌〉『十五番歌合』4 おしなべてしぐるる雲とみる程にやがてもそらのくれにけるかな
〈参考文献〉・北村季吟『八代集抄』 天和二年(1682)刊
・『新編 国歌大観』第三巻 私家集編T
トップページヘ 更新日:平成16年3月13日