陽明文庫本 巻第一・春歌上
右大臣に侍りける時、家に歌合し侍りけるに、霞のうたとてよみ侍りける 摂政前右大臣
8 かすみしく春のしほぢをみわたせばみどりをわくるおきつしら浪
〈校異〉なし
〈出典〉治承三年(一一七九)十月十八日 右大臣兼実家歌合、霞二番左勝
〈別出〉『古来風躰抄』五七二
〈作者〉藤原兼実 久安五年(1149)〜承元元年(1207)没。承安〜治承年間(一一七一〜一一八一)に歌会・歌合を頻繁に催した。
〈語釈〉○右大臣に侍りける時、家に歌合し侍りける…治承三年十月十八日の右大臣兼実家歌合である。 判者は、『千載和歌集』を撰進した藤原俊成である。藤原兼実は、「女房」として隠名されている。以下に俊成の判詞を引用する。 「左歌、いとおかしくこそ見え侍れ。春の霞、蒼海のうへにひきわたるさま、あさみどり色をそへたるに、澳津白なみたちわけたらむほど おもかげおぼえ侍れ。<中略>なほ、「みどりをわくるおきつしらなみ」はたちまさりて侍る」
○かすみしく…霞が敷きつめられた。「霞たつ」という用例はかなりあるが、「霞しく」という詞は勅撰集で初出。
治承二年(1178)三月『別雷社歌合』5 かすみしくしかのわたりをみわたせばいづれかひらのたかねなるらむ
○春のしほぢをみわたせば…春の海原を見渡すと。
承安二年(1172)十二月『広田社歌合』100 はるばるとおきつしほぢをみわたせばくもゐにきゆるあまのつりぶね
○みどりをわくる…緑を分ける。古語の緑色は、萌黄色・青色・藍色にも広く用いられた。「霞」と「みどり」の組み合わせ
では、「あさみどり野べの霞」という用例が、以前の和歌集に三例ある。
『新撰万葉集』5 浅緑のべの霞はつつめどもこぼれてにほふ花ざくら哉
『貫之集』68 わかなつむわれをひとみはあさみとりのへのかすみもたちかくさなむ
『後拾遺和歌集』第一 春上
30 あさみどり野べの霞のたなびくにけふの小松をまかせつる哉(民部卿経信)
○おきつしら浪…沖の白波であるなあ。格助詞の「つ」(上代語)は、連体修飾語で、所有・所属を表す。…の。
〈古注釈〉北村季吟『八代集抄』 蒼海の漫々たるに、緑霞の茫々として沖の白波立ちよるさまと、みどりを分ると
なるべし。
『九代抄』 霞しくとはふかき心。霞のみどりを白浪の分る海上の眺望なり。
大岡信『折々のうた』昭和六十三年三月十四日(朝日新聞) 白い霞、緑の潮路、それを分けてくる白い波。春の海原を舞台に色彩が演じる舞を思わせる歌である。
上句の大らかさ、下句の印象の鮮麗さは、まもなく来る新古今時代の先駆とも感じられる。
〈疑問点〉霞は何色をしているのか。
〈現代語訳〉霞が敷きつめられた春の海原を見渡すと、緑を分ける沖の白波であるなあ。
〈批評〉俊成が右大臣兼実家歌合で述べているように、霞は白色ではなく、浅緑色に見えるであろう。その根拠として、『千載和歌集』 以前の和歌集にある、「あさみどり野べの霞」という用例を挙げたい。『新撰万葉集』『貫之集』『後拾遺和歌集』の三例とも、浅緑色に見える 野原の霞であって、浅緑色をしている野原に霞はつつむ(霞がたなびく)のではない。「春のしほぢ」は、藤原俊成や北村季吟が「蒼海」の詞をあてはめているように、青色の海 ということになろう。我々、現代人がこの和歌を鑑賞するには、この色彩感覚の違いをふまえる必要がある。
兼実の歌のある作品成立年代
| 作 品 | 成 立 年 代 |
| 『右大臣兼実家歌合』 | 治承三年(1179)に成立。 |
| 『千載和歌集』 | 文治四年(1188)に成立。 |
| 『古来風躰抄』 | 建久八年(1197)〜建仁元年(1201)に成立。 |
堀河院御時、百首歌のうち、霞のうたとてよめる 前中納言匡房
9 わぎも子が袖ふるやまも春きてぞ霞のころもたちわたりける
〈校異〉なし
〈出典〉堀河百首「霞」・34
〈別出〉『江帥集』10 詞書「於大宰府詠之、かすみ」、第二句「そでふるやまは」。
『匡房集』 第二句「袖ふる山の」。『歌枕名寄』2947
〈作者〉大江匡房(おおえのまさふさ) 長久二年(1041)生〜天永二年(1111)没。 永長二年(1097)大宰権帥を兼任したので、江帥と称された。家集に『匡房集』がある。
〈語釈〉○わぎも子が…「わぎも子」は、「わがいも子」の変化した形。男が女を親しんで呼ぶ語。妻や恋人を指して
いうことが多い。袖振山の枕詞。
『柿本集』478 わきもこがそでをたのみてまののうらのこすけのかさをきすてきにけり
『玄々集』88 わきもこがそでふりかけしうつりがのけさはみにしむものをこそおもへ
○袖ふるやまも…袖をふるという袖振山にも。大和国の歌詞。現在の奈良県天理市にある布留山。「袖振る」との掛詞になる。
本歌『拾遺和歌集』一二一〇 をとめごが袖ふる山のみぢがきのひさしきよより思そめてき(題しらず・柿本人麿)
○春きてぞ…「春が来て」に、「着て」を掛ける。係助詞「ぞ」は、上の「きて」が掛詞であることを強調する。
○霞のころもたちわたりける…衣服のような霞が一面におおっていることだ(霞のような衣服を着て、立って移動することだ)。
格助詞の「の」は、「…のような」という比喩を表す。
参考歌『古今和歌集』二三 春のきる霞の衣ぬきを薄み山風にこそみだるべらなれ(題しらず・在原行平朝臣)
『拾遺和歌集』一〇四六 春霞かすがののべに立わたりみちても見ゆるみやこ人哉(藤原忠房朝臣)
〈古注釈〉北村季吟『八代集抄』 袖振山、吉野也。彼「乙女子が袖ふる山のみづ垣」の本歌にて、袖ふるといふ名に付て、 霞の衣立ちわたると也。
〈疑問点〉春に「張る」、たちに「裁ち」という詞を掛ける必要があるのだろうか。
〈現代語訳〉わが愛する人が、袖をふるという袖振山にも春が来て、衣服のような霞が一面におおっていることだ (霞のような衣服を着て、立って移動することだ)。
〈批評〉『江帥集』の詞書によれば、承徳二年(1098)大宰府に下向し、康和二年(1102)帰京するまでの春に詠まれた歌で ある。この歌の基本は、霞の歌という詞書からも、春の景色を詠んでいる。したがって、「袖振山にも春が来て、衣服のような霞が 一面におおっていることだ」ということになろう。これに、「わが愛する人が、霞のような衣服を着て、袖を振って立って移動することだ」という 印象をつけ加えて、和歌を鑑賞すべきだろう。文脈から、「春」に「張る」、「たち」に「裁ち」という詞を掛ける必要はない。 柿本人麿の歌の影響を受けているようだ。
〈影響歌〉治承二年(1178)三月十五日『別雷社歌合』32 わきもこがそでふるやまもみえぬかなかすみのころもたちしこむれは
『後鳥羽院御集』639 ながめてもいかにかもせむわぎもこがそでふるやまのはるのあけぼの
『後鳥羽院御集』826 わぎもこがそでふるやまのうすもみぢそれかとまがふあきのゆふぐれ
匡房の歌のある作品成立年代
| 作 品 | 成 立 年 代 |
| 『堀河百首』 | 長治三年(1105)に成立。 |
| 『江帥集』 | 天永二年(1111)に成立。 |
| 『千載和歌集』 | 文治四年(1188)に成立。 |
| 『古来風躰抄』 | 建久八年(1197)〜建仁元年(1201)に成立。 |
〈参考文献〉・北村季吟『八代集抄』 天和二年(1682)刊
・大岡信『折々のうた』(岩波新書)
・和歌文学大系32『拾遺和歌集』平成十五年一月二十日発行、増田繁夫著(明治書院)
藤原定家の天福元年仲秋書写本を底本とする。
トップページヘ 更新日:平成15年4月15日