◯『千載和歌集』注釈 451番歌
陽明文庫本 巻第六 冬歌 (題しらず) 前参議教長
451 み山ぢはかつふる雪にうづもれていかでかこまのあとをたづねん
〈校異〉書陵部蔵三条西実隆筆本の転写本、正保四年(一六四七)板本、八代集抄本は、第二句を「かつちる雪に」とするが、誤写と思われる。
〈出典〉『教長集』冬歌 563、初句を「み山べは」、第五句を「跡もたづねむ」とする。
〈別出〉なし
〈作者〉藤原教長(ふじわらののりなが) 天仁二年(1109)生〜治承四年(1180)頃没か。崇徳院の近臣。 保元元年(1156)参議を辞す。保元の乱に連座して出家後、常陸国へ配流。法名を観蓮と称した。応保二年(1162)召還後は、北山・東山・高野辺を転々 とした。『久安百首』に出詠。『詞花集』以下の勅撰集に三十七首入る。
『教長集』(丹鶴叢書本)冬歌 563 (東山辺にて、雪)
千載ぢ千 ち千
み山べはかつふる雪にうづもれていかでか駒の跡もたづねむ
○東山…山城国。今の京都市の鴨川以東に南北に連なる丘陵の総称。北は如意が岳から南は稲荷山に至る。
〈語釈〉○み山ぢは…深い山路は。「深山路」という詞は、勅撰和歌集ではこの歌が初めてである。 『教長集』のように「深山辺」という詞は、『千載和歌集』以前の勅撰和歌集に九例用いられている。
○かつふる雪にうづもれて…次から次へと降り積もる雪にうもれて。副詞の「且つ」は、二つの事柄が連続的に行われる 意味を表す。
嘉保元年八月十九日『前関白師実歌合』(陽明文庫蔵二十巻本)
雪・二番 右 まさふさの卿
みかり野はかつふるゆきにうづもれてとだえもみえず草がくれつつ
上條注では、この歌を参考歌とする。大江匡房は、『江都督納言願文集』があるように、漢籍に通じて
いた。
『為忠家後度百首』460 はらへどもかつふるゆきにたびびとのはくろのゐかさかくろひにけり
○駒のあとをたづねむ…「駒」は、平安時代以降、馬を優雅に言う語になる。語源は「子馬」の約。「あと」は、足跡。「たづぬ」は、追い求める。 助動詞の「む」は、推量の意味を表す。…だろう。
『俊頼髄脳』(国会図書館本)
冬さればみちも見えねどふるさとをもとこし駒にまかせてぞゆく
これは、管仲といへる人の、夜みちをゆくに、我は、くらさに道も見えねど、馬にまかせてゆく、とい
ふ事のあるを詠めるなり。老馬智といへる事は、これより申すとぞうけたまはる。
『奥義抄』中釈
三十一 ゆふやみはみちもみえねど故郷はもとこし駒にまかせてぞくる
老馬知道といふ事のある也。むかし斉の管仲大雪にあひて道をまどへるに、馬にまかせてゆきたること
也。
裏書云、韓子曰、管仲事斉桓公為上卿。桓公北征孤竹国。時大雪、人皆失路。仲曰、可用老馬智。
於是放老馬随其路得帰本国見蒙求
「管仲随馬」の故事を取り込んだ、和歌の初出と思われる。
〈古注釈〉北村季吟『八代集抄』 韓非子ニ曰ハク、管仲、桓公ニ従テコ孤竹ヲウ伐ツ。春往テ冬返ル。 迷惑シ道ヲ失ス。管仲ガ曰ハク、老馬ノ智用イルベキナリ。乃チ馬ヲ放シテ之ニ随フ。遂ニ道ヲ得タリ。 (蒙求)此古事にて、雪に道埋れたれば、馬の跡にしたがはんやうなしと也。
〈現代語訳〉深い山路は次から次へと降る雪に埋もれて、どうして駒の足跡を追い求めるだろうか。
〈批評〉応保二年(1162)召還後、治承二年(1178)頃までの、東山尾坂に居住したときの作だろうか。『教長集』のように、初句を「み山べは」とすると、 深い山のほとりということになる。『千載和歌集』撰者の藤原俊成は、初句を「み山ぢは」と改変しているが、こうすると深い山路という ことになる。深山辺よりも、深山路のほうが標高があり、「かつふる雪にうづもれて」と表現するのにふさわしい。 また、『教長集』が第五句を「跡もたづねむ」としているのは、目的地(具体的には、教長の住居か)だけでなく馬の足跡もという 意味を含めているように思われる。『教長集』557番歌は、第三句「道もなし」以外はこの歌とほぼ詞の使われ方が同じである。 藤原俊成は、この二首を比較しながら「駒の跡」という詞を中心として、教長の和歌を「管仲随馬」の故事に近づけたのである。 その影響が『千載和歌集』450番歌からの詞書、「題不知」に表れているといえよう。
〈参考歌〉『教長集』 同じ御時人々歌あまたたてまつれとおほせられし時、雪題して
557 ふるゆきにかつうづもれて道もなしいかにかこまのあとをたづねん
〈影響歌〉『式子内親王集』170 けさのゆきにたれかはとはむこまのあとをたづぬねひとのおとばかりして
教長の歌のある作品成立年代
| 作 品 | 成 立 年 代 |
| 『教長集』 | 治承二年(1178)頃に成立か。 |
| 『千載和歌集』 | 文治四年(1188)に成立。 |
◯『千載和歌集』注釈 463番歌
陽明文庫本 巻第六 冬歌 行路雪といへるこころをよめる 西住法師
463 こまのあとはかつふる雪にうづもれておくるる人や道まどふらん
〈校異〉なし。
〈出典〉未詳。
〈別出〉なし。
〈作者〉西住(さいじゅう) 俗名は、源季政。右兵衛尉となる。西行に同行した。寂然、藤原俊成らとも交友があった。 久安二年六月顕輔卿家歌合、久安三年(1146)十二月顕輔卿家歌合に参加する。富山県高山市の永願寺境内に、 西住墳碑がある。 『千載和歌集』に四首入る。『夫木和歌抄』に二首、『後葉和歌集』に一首入る。
〈語釈〉○行路雪…。「行路雪」という詞書を用いている和歌を二首例示する。
『国基集』40 ゆきふりてみちたづたづしあふさかのせきのいはかど見えみみえずみ
『散木奇歌集』674 雪をおもみしだれるみさのえだなればさはるをがさにしづれおつなり
○おくるる人や…とり残された人は。係助詞「や」は、疑問の意味を表す。「おくるる人」は、西行のことを 暗示しているか。「おくる」という詞は、「おくるる袖」という形で別れの歌に用いられた。また、「人におくるる」という形で (親しい)人に先立たれる哀傷歌に用いられた。
『千載和歌集』巻第九・哀傷歌
559 たれもみなとまるべきにはあらねどもをくるるほどは猶ぞかなしき(大納言長家)
『千載和歌集』巻第九・哀傷歌
569 もろともに春のはなをばみしものを人にをくるるあきぞかなしき(平雅康)
『高光集』9 たびをゆくくさのまくらのつゆけくはおくるる人のなみだとをしれ
○道まどふらん…道に迷っているだろう。助動詞「らむ」は、現在推量の意味を表す。
『後拾遺和歌集』第六・冬
408 いかばかりふる雪なればしなかとりゐなのしは山道まどふらん(藤原国房)
〈古注釈〉北村季吟『八代集抄』 心明也。「かつ」は「かく」也。
〈現代語訳〉馬の足跡は、次から次へと降る雪に埋もれて、とり残された人は道に迷っているだろうか。
〈批評〉戸出商工会の地域情報ホームページによると、西住の臨終の歌だったという。 西住は、嘉応二年(1170)には没していたようだ。『千載和歌集』の撰者、藤原俊成は、西行からこの歌を得たか。
〈参考文献〉・『私家集大成』(明治書院) 和歌史研究会編
中古U『教長集』 昭和五十年五月 初版発行
・『平安朝歌合大成 増補新訂』第三巻(同朋舎出版) 萩谷朴著
1996年2月 第一版第一刷発行
・日本古典文学全集50
『歌論集』所収 『俊頼髄脳』
・日本歌学大系(風間書房)所収
『奥義抄』佐佐木信綱
更新日:16年2月1日