<特徴>今川了俊自筆本は、静嘉堂文庫本と同じく仮名に濁点をつけ、朱筆で句読点をつける。
現存する最古の写本である。今川了俊は、嘉暦元年(1326)生まれ、応永十九年から二十五年(1418)ごろ死去。
本文は、静嘉堂文庫本・鈴鹿文庫本とそれぞれ一致する箇所が多い。時雨亭文庫本は、鈴鹿文庫本の校合(補入と異本注記)に用いられた
と考えられる。松平文庫本を補充する箇所が多い。
表記は、他本が「見え」としているのを、了俊本は「みへ」とする。
また、他本が「うるほされ」「あはれ」「ひたひ」としているのを、了俊本は「うるをされ」「あわれ」「ひたい」とする。
平安時代に多く用いられた「すゝろ」を、鎌倉時代以降によく用いられた「そゞろ」とする。
第二帖第一話では、人物表記を他本は「性延」「義操」としているが、了俊本は「祥延」「喜操」とする。
他本よりも本文が簡潔で、原態に近い草稿本と思われる。しかし、本文の欠脱や誤写と思われる部分が多く、善本とはいえない。
「本(ノ)ママ」という傍注からも、解読しにくい箇所があったことが分かる。
説話の表題では、一帖第七が「讃岐院御墓参事 付保元乱事」と記されていることが注目される。
他本の表題は、「新院」としている。称号については、永治元年(1141)、近衛天皇が即位したため、鳥羽院を本院、崇徳院を新院と称する。
保元元年(1156)、讃岐に配流となったため、讃岐院と呼ばれる。長寛二年(1164)崩御。安元三年(1177)七月、崇徳院の院号が贈られる。
仁安年間(1166〜1169)には、「新院」または「讃岐院」と呼ばれていた。
<撰集抄の祖本はどのようなものだったか>
表記は、現存諸本は、漢字の部分を平仮名にして読みやすくしている。
例えば松平本は「止め」としているが、鈴鹿本が「やめ」、書陵部本が「とめ」、静嘉堂本が「しめ」としている箇所がある(第二第一話)。