『撰集抄』(第)一帖第一 僧賀伊勢利生事

『撰集抄』(第)一帖第一 僧賀伊勢利生事

昔、僧賀上人と云人いまそかり。いとけ
なかりけるより、道心深くて、天台山の根
本中堂に千夜籠て、是を祈給けれ
ども、猶まことの心つきかねて侍ければ
或時、只一人伊勢太神宮にまうでて」三ウ

祈請し給けるに、夢に見給やう、道心を
おこさんと思はば、此身を身となおもひそと、
示現を蒙給にけり。打驚ておほす
やう、名利を捨てよとにこそ侍なれ。さらば
すつるよとて、き給へりける小袖衣を、
みな乞食共にぬきくれて、一重なる
物を身にかけ給はす、赤はたかにて
下向給けり。見る人、不思議の思を」四オ

成て、物にくるふにこそ。みめさまなんとの、いみし
さに、うたてやなんと云つゝ、打かこみ
侍れども、露心もはたらき侍らさりけり。
道々物乞つゝ、四日と云に山へのぼり
もと住給ける慈恵大師の御室に
入給けれは、宰相公物にくるふとてみる
同法もあり、又、かはゆしとて見人も侍りける
師匠の大師、ひそかにまねき入て、
名利をすてたまふは知侍り」四ウ

ぬ。但、かくまてふる舞は侍らし。はや
只威儀をただして、心に名利を
はなれ給へかしといさめ給けれ、名利
を長くすてなん後は、さにこそ侍
べけれとて、あらたのしの身や。おうおうと
て、立はしり給ければ、大師も、門の
外に出給て、はるばる見おくりて、すそろ
に涙を流されけり。僧賀は、終に」五オ

大和国多武峰と云所へさ
入て、智朗禅師の庵の形はかり残
けるに、居をしめ給へり。げにうたてき
物は名利二世也。正く貪瞋癡の三毒より
事起て、此身を実ある物と思て、是を
たすけんために、そこはくの偽を構にや。武
勇の家に生る物、胡録の矢をはやく
つかい、三尺の剣をぬきて、一(陣)を懸て」五ウ

命を失も名利勝他のため也。
柳まゆずみほそくかき、蘭麝を衣に
うつし、秋風の名残送姿ともてあつかふも、
名利の二にすぎす。又墨染の袂に身を
やつし、念珠を手にくるも、詮はただ、
人に帰依せられて世をすぎんとの
はかりこと、或は、極位極官をきはめて
公家の梵莚に烈(ツラ)なり、三千の禅徒に」六オ

いつかれと思へ。名利の二にはなれず。
此理を不知るたぐひは不及申、唯識止
観眼をさらし、法文の至理を弁侍る
程の人達の、知ながらすて侍らで、生死
の海にただよひ給そかしに、誰々も、是を
もてはなれんとし侍れど、世々を経て
思なれにし事の、改がたさに侍り。しか
あるに、此僧賀上人の、名利の思を」六ウ

やがてふりすて給けむ、難有には侍らずや。
これ又、伊勢太神宮の御助にあらずは、
いかでか此心も付へき。貪癡村雲
ひきおほい、名利のとこやみなる身の、
いすず河の浪にすすがれて、天照太神
の御光に消ぬるにこそ、返々かたじけ
なく貴く。此事いつの世にか
わすれたてまつるべき也。」七オ

<現代語訳>昔、僧賀上人という人がいらっしゃった。幼いときから仏の悟りを得ようとする心が深くて、 天台宗比叡山の根本中堂に千夜籠って、仏の悟りを得られるようにと祈りなさいましたが、 それでもまだ本当の心が身についておりませんでしたので、ある時、ただ一人で伊勢大神宮に参詣して、 祈願なさったときに、夢に見られることには、「悟りを得ようとする心をおこそうと思うならば、 我が身を自分のものと思うな」と仏が現れ告げることをお受けになった。目が覚めて思われるには、 「これは名誉と利益を捨てなさいということに間違いない。それならば捨てよう」と思って、着て いらっしゃった着物や僧衣をみな乞食たちに脱いで

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