二 詞書 黒本ニハ、「ハルハコレヨリ」トイヘリ
『袋草紙』上巻 後拾遺抄和歌
件の本の歌、伊房卿をしてこれを清書せしむるの処、件の人の歌をただ一首入るの故に、腹立してこれを書かず。
仍りて若狭の闍梨隆源をしてこれを書写せしむと云々。証本は黒本と号す。表紙を焼くの故と云々。
九 ミギハモエイヅルココロエヌヨシ、経信卿難アリ。又ミギハ・サハベ同心病也云々。
『袋草紙』下巻 故人の和歌の難
難後拾遺に云はく、経信卿の所為と云々。
たづのすむ沢辺のあしのした根とけ水際もえいづる春はきにけり
これは上手の歌と書き付けられたれば、いとおそろし。仰ぎて信ずべけれども、「沢辺」と「水際」とは同じ事なるが上に、
「みぎはにもえいづ」とこそ云ふべけれ。「みぎはもえいづ」とあれば、「に」文字入るべく覚ゆ。
一二 此歌本体ハ、「ソラノケシキノカハラヌハ」トゾアル
『袋草紙』上巻
およそこの集(後拾遺)には歌を多く直すと云々。隆経朝臣の立春の歌も、本は「春ごとに空のけしきのかはらぬは」とあるを、
「野辺」と直されたり。
三一 六条右府判、有難判
『袋草紙』下巻 古今の歌合の難
承暦二年内裏歌合 判者六条右府
一番 子の日
左勝 実政朝臣
子の日するあまたの人のひきつれて君が千年をまつとこそ見れ
公実卿
君がよにひきくらぶれば子の日する松の千年もかずならぬかな
右の人にて匡房申す様、「ひきくらぶるに、『松の千年の数ならず』と『君が千年をまつ』のほどこそ、生ひさきあさきにそへて
、左の千年がすくなくなむ」と申す。師賢、「一人して待たばこそすくなからめ、天下の人のみな心をよせて侍らむ千年は、数知り
がたくなんあるべき」といらふるに、あまたの人のまつほど、げに限りなき事なりとて、判者左勝とのたまふ。
九〇 作者 菅原為言(ノブ)
『袋草紙』上巻 諸集人名不審
後拾遺 菅原為言(ノブ)
一一五 作者 坂上定成(シゲ)
『袋草紙』上巻 諸集人名不審
後拾遺 坂上定成(シゲ)
一六二 良暹、大原房障子ニ書付歌云、「ヤマザトノカヒモアルカナホトトギスコトシゾマタデハツネキキツル」
『袋草紙』上巻
ある僧の語りて云はく、障子に良暹が書き付けたる所の歌、いまだ消えず。
山里のかひもあるかな郭公ことしもまたで初音ききつる
この歌、後拾遺に在る定頼卿の歌に末同じか。何れが先に詠ずるや。
一七八 作者 元慶法師(大山別当)
『袋草紙』上巻
元慶は大山の別当なり。
一八七 作者 橘資成(シゲ)
『袋草紙』上巻 諸集人名不審
後拾遺 橘資成(スケシゲ)
一九二 披講以後後二条関白憎シ退出云々故実歟
高倉一宮歌合の後宴の和歌に云はく、「宇治殿御歌に云ふ、
有明の月だにあれや時鳥ただ一声のなくかたも見ん
大二条殿内大臣の時、これを懐にして退出す」と云々。
一九三 和歌 まつとてやすき(訂正前の本文)
『袋草紙』下巻 まつとてやすき
一九五 作者 大江公資(より)
『袋草紙』上巻 諸集人名不審
後拾遺 大江公資(ヨリ)
二〇五 作者 藤原隆資(より)
『袋草紙』上巻 諸集人名不審
後拾遺 藤隆資(ヨリ)
二六〇 作者 藤原国行(号竹田大夫)
『袋草紙』上巻
竹田大夫国行
二七三 三百六十首。長能云、好忠ハ狂惑ノヤツナリ。
『袋草紙』上巻
曾禰好忠の三百六十首歌に云はく、
鳴けや鳴けよもぎが杣のきりぎりすすぎゆく秋はげにぞかなしき
長能云はく、「狂惑のやつなり。蓬が杣と云ふ事やはある」と云々。
三〇七 作者 橘為義(ノリ)朝臣
『袋草紙』上巻 諸集人名不審
後拾遺 橘為義(ノリ)
四六六、七二九 作者 藤原惟規(ノブノリ)
『袋草紙』上巻 諸集人名不審
後拾遺 藤惟規(ノブノリ)
八九二 和歌 ふたつなるかな(訂正前の本文)
『袋草紙』上巻 二つなるかな
九二六 和歌 いかに(訂正前の本文)
『袋草紙』下巻 いかに
一〇三二 作者 藤原統(ムネ)理
『袋草紙』上巻 諸集人名不審
後拾遺 藤統理(ムネマサ)