堀河院御時内裏の歌、題いはひ
一 いはひつつしめゆふたけのいろみれば
みよのけしきはそらにしるしも
おなじ御とき、鳥羽殿に行幸の日、題池上花
二 ちとせすむいけのみぎはのやへざくら
かげさへそこにかさねてぞ見る
をなじ御とき、女房の花せうよう(逍遥歟)にぐし
て、つかはされしに、あふさかこえてたづねみし日」一ウ
三 けふこずはおとはのさくらいかにぞと
見る人ごとにとはましものを
ふたは(ま)におはしまして、うへのをのこども、
歌よみの名ある女房の許に今朝うぶみの
うたよみてつかはせとおほせられし時
四 人しれぬおもひありそのうらかぜに
なみのよるこそいはまほしけれ
返し 一宮紀伊君
五 をとにきくたかしのはまのあだなみは
かけじやそでのぬれもこそすれ」二オ
又女房ノの歌をめしてたまはりしに
小大進
六 つらさをもおもひいれじとしのべども
万代 身をしるあめのところせきかな
かへし
七 オモハズヨフリソフアメノナゲキセバミカサノヤマヲカケテチカハム」一六オ
又ヲナジココロヲ人々ヨミシニ
四六 ミシマエノカリソメニサヘマコモグサユウテニアマルコヒモスルカナ
同内裏のうた、題、つりぶね
六 いはおろすかたこそなけれ伊勢」二ウ」三オ
海のしほせにかかるあまのつりぶね
正月廿日比、雪ふりたりし朝に、二条家の梅を折て、俊頼朝臣のもとにやりし
七 さきそむる梅のたちえにふるゆきのかさなるかずをとへと」三ウ
こそおもへ
かへし 俊頼朝臣
八 むめがえに心もゆきてかさなるをしらでやひとのとへといふらん
中宮、四の宮と申こと女房にものごしにあひてのちに、つかはしける」四オ
九 あかざりしよはのけしきのこひしさにかさねぬそでをかへしつるかな
花の下にて、人々歌読し日、越山見花と云題を
一〇 相坂のせき路ににほふ山ざくらもるめにかぜもさはらましかば」四ウ
途中逢恋
一一 なごのうみのとわたるふねの行ずりにほのみしひとのわすられるかな
堀河院御時、夏題各たまはりて献し内、蛍
一二 住江のあさざはすだくなつ」五オ
虫を草葉にぬけるたまかとぞ見る
同御時、閏五月の郭公と云ことを、中宮の御方にわたらせたまひて、講ぜられしに
一三 さつきやみふたむらやまのほととぎすみねつづき鳴声聞かな」五ウ
故殿うせ給て後五月五日、源中将国信の君のせうそくつかはしたりしついでに
一四 すみぞめのたもとにかかるねをみればあやめもしらぬ涙成けり
かへし くにざねの君
一五 なみだのみあやめもしらぬ君かねを」六オ
世のうきことにおもひこそやれ
一六 アヤメグサウキネヲミテモナミダノミカクランソデヲオモヒコソヤレ
或本如此
家歌合に、花橘を
一七 金 五月やみはなたちばなのありかをばかぜのつてにぞ空にしりける
恋
一八 我こひはあまのかるもにみだ」六ウ
れつつかはく時なき浪下草
堀河院かくれさせ給て後、はかなく年月へだたりて後の春、花御らんずる女房の御車よりとて、あやしきをのこの、二条の家に
さしをきて侍し
一九 行てみしそのかみやまのさくら花」七オ
ふりにし春ぞこひしかりける
使かくれにしかば、中宮の女房にやとて、ほり
かはの院へたてまつりし
二〇 おもひきやちりにしはなのかげならで
のはるにさへあはむものとは
ひがごとありければ、きさいの宮の女房かへし
二一 ありしよの花のかげのみこひしきに
いとどあはれをそふるはるかな
大殿の肥後の君にてありければ、かくとききて
肥後君
二二 さくらはなゆきとやまぢにふりしけば」七ウ
むべこそ人のふみたがへけれ
かへし
二三 ゆきとふるはなならねどもいにしへを
こふるなみだにまよふとをしれ
世をうらみて、かつらの家にこもりゐて侍
しころ、九月十三夜
三四 ながめするこころのやみもはるばかり
かつらのさとにすめる月かげ
おなじ所にて、またのとしのはる、のこりの
花をおしむこころを」八オ
三五 よのうきをいとひながらもふるものを
しばしもめぐる花もあかれし
八条の家にて、歌合に、草花露(つゆ)
二八 ゆふつゆのたまかづらしてをみなへし
のはらのかぜにおれやふす覧
月
二九 くまもなくあかしのうらにすむ月は
ちひろのそこのかがみなりけり
法輪時にまうづとて、故大納言(の)御はかの見
ゆるほどに、車をとどめて、おりてまうづとて」九オ
五六 さらでだにつゆけきさがの野べにきて
むかしのあとにしほれぬるかな
秋ころマラシニ日ごろこもりていづる
あかつきに
五七 山ふかみまつのあらしにききなれて
さらにみやこやたびごごちせむ
嘉保三年三月廿一日、花契千年
左少将
五八 きみがよのちとせをふべきためしにて
花ものどかににほふなりけり」九ウ
鳥羽殿小弓合、花為春友
五九 このはるはかさねてにほへやへざくら
かすみとともにたちもはなれじ
御前にて五月雨を名所によせて、人々
つかうまつりしに
六〇 ときしもあれもしほたれたるすまのうらに
ひかずふるあめはれまなきかな
永久四年閏正月廿五日、鳥羽殿、桜花薫衣」一〇オ
参議
六一 そでかけておりみをらずみ花のいろに
そむるにほひをいもなとがめそ
題可尋
六二 山もりよなげきといへばふししばも
ながめがしはもつきてやはこる
殿上にて、くつかぶりの歌、当座、
こいたじき、ときのぶた
六三 こしたもといとどひがたきたびのよの
しらつゆむすぶきぎのこのした
いみじうあつきよ、蔵人まちにふしたるに、
師時ノ君、よいたくふけてまいりて、まちやしつるとあれば
六四 a 風をこそまてきみをやはまつ
とりあへず
b きたキラヲきつるもしるし夏ごろも
りやうあんのとしながあめのころ、中宮へまいり
たるに、火たきやに水のたまりたりければ
六五 a 火たきやよりも水ぞながるる
といふをききつけて かづさの君
b むねはもえなみだはむせぶころなれば」一一オ
本云
寛喜二年六月十四日 手自書写了
京極中納言入道也
申請前戸部本也
寛元四年十二月廿日 書写了 交了
於燈下 一見了
南無地蔵菩薩
離苦得楽 字門隠真観」
かつらの家にて、花柳交枝といふことを
二四 わがやどにうへかさねて あをや」八ウ
ぎのいとにさくらの花とこそみれ
又、水辺柳と云題
二五 浪かくるまかきのしまのそひやなきはなたのいとのいろなかくしそ
不者居可恋
二六 たづねつつうらうらすだく」九オ
はまちどりあともとどめぬねをもなくかな
人にこひらると云ことを
二七 しのばれんことぞともなき水ぐきのたびたび袖にすみのつきたる
小萩原のしか
三〇 あさまたき(ヨモスガラ、或本)つまよふしかのなくなへにこはぎがはらのつゆぞこぼるる
衣手杜紅葉
三一 ころもでのもりのこのはをたつたひめみなくれなゐに」一〇ウ
ちしほそむらし
をとなしのたきの恋
三二 こひわびてひとりふせやのとこにおつるなみだやいまはをとなしのたき
いはてのせきの恋
三三 あづまやのかやかのきはの」一一オ
忍草いはてのせきにかかる恋すや
家に恋十首歌読し時、来不留恋といふ題を」一二オ
三六 我恋はくずのうらばのかぜなれやなびきもあへずふきかへしつる
乍臥無実
三七 こひこひてかひもなぎさにおきつ浪よせてもやがてたちかへれとや
厭賎恋」一二ウ
三八 かずならぬいはせのもりときくからに身をしる雨はしぐれてぞゆく
かたきをとぐといふ心を
三九 つれなさをむすぶの神のとけてしもいまこんよよとねぞなかれぬる
誓恋」一三オ
四〇 いかでわれ心づくしのまつらなるかがみにかけてみゆるわざせん
家にて、雪歌人々よみしに
四一 おぼつかなこしのをやまのしゐしばのあをばも」一三ウ
みえずふれるしらゆき
堀河院御時、内裏の歌、題、ともし
四二 夏山のしかのたちとによもすがらおもひをかけてあくるしののめ」一四オ
初冬恋
四三 たまさかのあふことのはもかれぬればふゆこそこひのかぎりなりけり」一四ウ
ユキノウタ、人々ヨミシトキ
四七 ヲボツカナコシノヲヤマノシヰシバノアヲバモミエズツモルシラユキ
ミチノナカニシテアフコヒトイフコトヲ
四八 ナゴノウミノトワタルフネノユキズリニホノミシヒトノワスラレヌカナ
二条ノイヘニテ、十首恋歌人々ニヨマセシトキ、占恋
四九 キネガトルソノクマシネニヲモフコトミツテフカスヲタノムバカリゾ
祈不遇恋
五〇 アゲヲロシヲトメガカミニネギカタルクシノサスガニユルギゲモナキ
追従恋
五一 ワギモコガカモスソバカリニシナサナンカゲヒカレテモウラミヤハセム
偽不遇恋
五二 イカニセンウシロメタナキヒトゴコロツラヌクタマノクダケテゾヲモフ
聞音恋
五三 ヨルコヘヌセキヂニカヘルタビナレヤトリノソラネニネヲゾソヘツル」一六ウ
堀河院カクレサセタマヒテノチ、月ノアカキヨ、源中将ノモトニ
五四 コノアキハナレシミカゲノコヒシサニソノヨニニタル月ヲダニミズ
カヘシ
五五 キミコフルナミダニツキハミエネドモヲモカゲノミゾタチモソナレヌ