さめの床には、哀と情をかけすと云事なし。
或時、人の尋行て、いかに身のくるしきに、夜は
ありき給ふにか。いもね給はては、つかれ給には侍らす
やと云けれは、其事に侍り、ひるは何となく、さるへき
女なんと見侍れは、我かなれ見たりし物の思出
さるゝ時も侍り。をさなき物をみる時は、ふりすてし
子の面影に立て、いかにも乱ぬへく侍り。夜は、さ様の
事もなくて、心のすみ侍れは、廻也。めぐらずとても
生死無常の思はれていねもせられず侍れば、
ありき侍也。さて又、をのつからもみみにもれ」四七オ
て、哀と聞そな(本ママ)はし、一念随喜をもし、念仏をも、
し侍る人、あれは、それをなん他を利る心とせんと思侍に
こそと申けれは、尋行ける人も、袖をしほりて、をが(み)
つゝさりにけり。さて、みとせはかりへて後に、三日まで
里にも出ず侍る。いぶせさに人々まかりて侍けれは、
面西にむきて手を合てなんいき絶にけり。浅
猿く哀にをほへて、いそぎ人々にふれなんとして、
来りをがみ侍けるとなん。けに、有かたかりける
心也けんかし。下れる(クタレル)人は、いかにも情の少く
て、只さしあたりたる事のみを思て、後世の」四七ウ
侍り。今此僧の有様ふつ(ソ)に(本ママ)、是ほに叶て侍り。
浅猿さは、世をすつといへとも、心は是をすてず、
袂をそめぬれと、心は染ぬ物にして、身心かたち(本ママ)がえにて
万行いたつらになれ(し)はてぬる事よ。しかあれは、
心の師とは成とも、心を師とする事なかれと、
仏のをしへ給へる、是なるへし。とにかくに、涙のそゝろ(に)
しどろなるに侍り。